Up | 例 :「銀の滴降る降る」 | 作成: 2019-01-19 更新: 2019-01-20 |
即ちこの話は,「金銀玉石」が人のステータス及び一般交換価値形態になる。 「銀の滴降る降る」はカムイ・ユカルであり,梟神が,昔立派で今貧乏の一家に,宝物 ikor を降らせ,昔の地位に戻してやったという話である。 「宝物」は「降る」類のものだから,金(かね) とか宝玉である。 実際,これの折り句 sakehe
「銀-滴-降る-降る-まわりに,金-滴-降る-降る-まわりに」 日本昔話だったら聞き過ごせる内容だが,ことはアイヌである。 「金銀宝玉」の意味づけをしなければならない。 実際,この話の通りだと,アイヌは金(かね) の有・無を以て<豊か・貧しい>を立てていた,ということになるからである。 この話では,つぎの文が示すように,
昔貧乏人で今お金持になってる者の子供等は, 金の小弓に金の小矢を番えて 金(かね) の有・無による人の価値づけも,承認されている:
昔貧乏人で今お金持の子供等は 大笑いをして云うには, 「あらおかしや貧乏の子 ‥‥‥」 と云って,貧しい子を足蹴にしたりたたいたりします ここで子どもは,親の鏡である:
アイヌのニシパが運が悪くて貧乏人になって 昔貧乏人で今お金持になっている者たちに ばかにされたりいじめられたり そして,宝物をもらった一家は酒宴を催すのだが,文脈から,その酒宴は宝物の一部を物に換えて成したことになる。 また,周囲の者を招待するまで秘密で準備しているので,《コタンの外のどこかで金銀・宝玉を物と交換する》がふつうにできる土地柄ということになる。 このような状況は,松前藩の蝦夷統治 (蝦夷離隔制) の下では無いことになる。 よって解釈は,論理上,つぎの二通りである: そして実際どうであったかは,詮索のしようのないことである。
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