Up 哀傷歌 Ohaichish 作成: 2019-01-14
更新: 2019-01-14


      久保寺逸彦 (1956), p.66
    Iyohaiochish, Iyohaichish, Ohaichish 哀傷歌 ‥‥‥
    「シノッチャ」を基調とする抒情歌謡中、特に、悲哀の心緒を歌うものをいう。
    Iyohaichish の
    i は人・物などを「それ」と指示する接辞、
    y は渉音、
    ohai は「泣き叫んで後を追う」「苦悶の声を挙げる」、
    chish は「泣く」意である。
    哀傷歌・哀慕歌などと訳しうる。
    旭川・近文(ちかぶみ)部落などでは、この語を用いず、Chish-shinotcha「涕泣(ていきゅう)歌」といっているが、哀切の情に堪えずして、泣きながら歌ったりするからである。

      同上 pp.73-75
    むかし、沙流・紫雲古津のコウセパという娘が、門別の会所に勤めていた下役の秋田の人某 (アイヌたちは Chokko nishpa と綽名したという) とわりない仲となったが、男が郷里秋田に帰ってしまってから、それを慕って歌った「イヨハイオチシ」が、今に伝えられている。

       Neita-an kotan
    neita-an moshir
    re-kor katu
      どこにある村
    どこにある国であるから
    その名を
       Akita ne kusu.
    Akita wenkur!
    Akita pinpo!
    an akusu,
    tu-sui chi-raike
    re-sui chi-raike.
    chikap ta ku-ne
    tori ta ku-ne.
    kiwane yakne
    Akita kotan
    ko-yaiterker
    ku-ki wa neyak
    shine-itak poka
    tu-itak poka
    ku-ye wa ku-nure
      秋田というのだろう。
    秋田生まれの乞食野郎! (1)
    秋田生まれの貧乏野郎! (2)
    汝のお蔭で
    二度も殺されそうな目に遭い (3)
    三度も責めさいなまれたぞ。 (4)
    鳥になりたい
    禽になりたや。
    そうしたら
    秋田の町へ
    飛んで
    行って、そして
    せめて一言葉だけでも
    二言葉だけでも
    いって (あいつに) 聴かせて
       ki rusui yakka,
    tekkup sakpe
    ku-nep nekusu
    ene ku-yehi
    ene ku-kari
    oar isam.
    haipota! ku-yainu wa
    tapan ku-yainu
    nekon ku-ye ya?
    nekon ku-kar?
    haita ya na!
      やりたいけれど、
    翼もない
    私のことだから
    何と言いようもなく
    どうして見ようも
    ないのです。
    ああ情けない! と思うて
    この私の切ない思いは
    何といったらいいでしょう?
    何としたらよいものでしょう?
    ああ情けない、ああ切ない!

    〔注〕 (1)(2)  哀慕の情の切なるあまり、男を罵っていう。
    (3)(4)  和人と関係したため、折鑑されたのだが、親・兄弟からか、会所の役人からか不明である。

      同上 pp.76-78
    [以下「(〃)」は,シノッチャ「Hau o o」]

       (Hau o o) haita (〃) yana!
    (〃) inunu (〃) kashki!
    (〃) isam shir (〃) puri
    (〃) ku-kihi (〃) yana.
    (〃) kuani (〃) patek
    (〃) ku-kip (〃) hetapne,
    (〃) shukup-kur (〃) puri
      ああ情けない!
    哀れなことよ!
    他にない振舞を
    (わたし)がしたのだろうか。
    妾だけ一人
    したという、
    恋の道
       (〃) nepne (〃) kusu
    (〃) inunu (〃) kashki!
    (〃) ku-kor-pon (〃) -shiyon
    (〃) numattom (〃) -ushpe
    (〃) shomo-ne (〃) yakun
    (〃) ku-hoppa (〃) korka,
    (〃) numattom (〃) -ushpe
    (〃) konepne (〃) kusu,
    (〃) ku-hoppa (〃) kusu
    (〃) ku-yaiko (〃) -niukesh
    (〃) Tokor (〃) kamui!
    (〃) ku-kor (//) shiyon
    ( /1) peken (〃) ramachi
    (/1) en-kope (//) -ka wa
    (//) en-korpa (/1) -re yan.
    haita (hau o o) yana!
      でもないのに (かくなり果てたのは)
    哀れだな!
    この妾の赤児も
    まだ乳を呑むほどの嬰児で
    なかったら
    後に遺して (私だけ) 死ぬのだが、
    (まだ稚い) 乳呑み児の
    ことだから、
    後に遺して置くことも
    できないのです。
    (この)沼の神さまー
    妾の赤ちゃんの
    清浄(きよらか)魂魄(たましい)
    受けとめて下さって
    (あの世で) 私に渡して下さい。
    ああ、情けない!

    〔注〕 (1)  表現が頗る簡潔、象徴的なため、直訳のままでは、よく解らない。
    この "悌泣歌" は、ある薄倖な女が世をはかなんで、沼に身投げしようとした時、描卯泣しつつ歌ったものだと言い伝えている。
    初め、親たちのとり決めた許婚の男があったが、それを嫌って、相思の愛人の許へ走り、やがて一子の母ともなったが、その夫からも捨てられた。 いまさら、親の許へも帰れず、世をはかなんで沼に身を投じたという。
    この悲歌は、誰が聞いたものか、村人の間に歌い伝えられて来たという。
    (2)  終わりの四句は、「妾は今この沼にこの児を投げる。沼の神様は、そこへ手をさしのべて受け取って下さって、その清浄な魂をあの世で妾に渡して下さい」という意味。
    アイヌの死者の国は、この人間世界の生活がそのままの連続であるという。肉体の遊離した霊魂は、他界に行って、再び肉体を得て復活し、親子・夫婦仲よく生活するものと信じているのである。


    引用文献
    • 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
      • 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977