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久保寺逸彦 (1956), p.66
Iyohaiochish, Iyohaichish, Ohaichish 哀傷歌 ‥‥‥
「シノッチャ」を基調とする抒情歌謡中、特に、悲哀の心緒を歌うものをいう。
Iyohaichish の
i は人・物などを「それ」と指示する接辞、
y は渉音、
ohai は「泣き叫んで後を追う」「苦悶の声を挙げる」、
chish は「泣く」意である。
哀傷歌・哀慕歌などと訳しうる。
旭川・近文部落などでは、この語を用いず、Chish-shinotcha「涕泣歌」といっているが、哀切の情に堪えずして、泣きながら歌ったりするからである。
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同上 pp.73-75
むかし、沙流・紫雲古津のコウセパという娘が、門別の会所に勤めていた下役の秋田の人某 (アイヌたちは Chokko nishpa と綽名したという) とわりない仲となったが、男が郷里秋田に帰ってしまってから、それを慕って歌った「イヨハイオチシ」が、今に伝えられている。
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Neita-an kotan
neita-an moshir
re-kor katu
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どこにある村
どこにある国であるから
その名を
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Akita ne kusu.
Akita wenkur!
Akita pinpo!
an akusu,
tu-sui chi-raike
re-sui chi-raike.
chikap ta ku-ne
tori ta ku-ne.
kiwane yakne
Akita kotan
ko-yaiterker
ku-ki wa neyak
shine-itak poka
tu-itak poka
ku-ye wa ku-nure
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秋田というのだろう。
秋田生まれの乞食野郎! (1)
秋田生まれの貧乏野郎! (2)
汝のお蔭で
二度も殺されそうな目に遭い (3)
三度も責めさいなまれたぞ。 (4)
鳥になりたい
禽になりたや。
そうしたら
秋田の町へ
飛んで
行って、そして
せめて一言葉だけでも
二言葉だけでも
いって (あいつに) 聴かせて
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ki rusui yakka,
tekkup sakpe
ku-nep nekusu
ene ku-yehi
ene ku-kari
oar isam.
haipota! ku-yainu wa
tapan ku-yainu
nekon ku-ye ya?
nekon ku-kar?
haita ya na!
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やりたいけれど、
翼もない
私のことだから
何と言いようもなく
どうして見ようも
ないのです。
ああ情けない! と思うて
この私の切ない思いは
何といったらいいでしょう?
何としたらよいものでしょう?
ああ情けない、ああ切ない!
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〔注〕 |
(1)(2) |
哀慕の情の切なるあまり、男を罵っていう。 |
(3)(4) |
和人と関係したため、折鑑されたのだが、親・兄弟からか、会所の役人からか不明である。 |
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同上 pp.76-78
[以下「(〃)」は,シノッチャ「Hau o o」]
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(Hau o o) haita (〃) yana!
(〃) inunu (〃) kashki!
(〃) isam shir (〃) puri
(〃) ku-kihi (〃) yana.
(〃) kuani (〃) patek
(〃) ku-kip (〃) hetapne,
(〃) shukup-kur (〃) puri
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ああ情けない!
哀れなことよ!
他にない振舞を
妾がしたのだろうか。
妾だけ一人
したという、
恋の道
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(〃) nepne (〃) kusu
(〃) inunu (〃) kashki!
(〃) ku-kor-pon (〃) -shiyon
(〃) numattom (〃) -ushpe
(〃) shomo-ne (〃) yakun
(〃) ku-hoppa (〃) korka,
(〃) numattom (〃) -ushpe
(〃) konepne (〃) kusu,
(〃) ku-hoppa (〃) kusu
(〃) ku-yaiko (〃) -niukesh
(〃) Tokor (〃) kamui!
(〃) ku-kor (//) shiyon
( /1) peken (〃) ramachi
(/1) en-kope (//) -ka wa
(//) en-korpa (/1) -re yan.
haita (hau o o) yana!
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でもないのに (かくなり果てたのは)
哀れだな!
この妾の赤児も
まだ乳を呑むほどの嬰児で
なかったら
後に遺して (私だけ) 死ぬのだが、
(まだ稚い) 乳呑み児の
ことだから、
後に遺して置くことも
できないのです。
(この)沼の神さまー
妾の赤ちゃんの
清浄な魂魄を
受けとめて下さって
(あの世で) 私に渡して下さい。
ああ、情けない!
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〔注〕 |
(1) |
表現が頗る簡潔、象徴的なため、直訳のままでは、よく解らない。
この "悌泣歌" は、ある薄倖な女が世をはかなんで、沼に身投げしようとした時、描卯泣しつつ歌ったものだと言い伝えている。
初め、親たちのとり決めた許婚の男があったが、それを嫌って、相思の愛人の許へ走り、やがて一子の母ともなったが、その夫からも捨てられた。
いまさら、親の許へも帰れず、世をはかなんで沼に身を投じたという。
この悲歌は、誰が聞いたものか、村人の間に歌い伝えられて来たという。
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(2) |
終わりの四句は、「妾は今この沼にこの児を投げる。沼の神様は、そこへ手をさしのべて受け取って下さって、その清浄な魂をあの世で妾に渡して下さい」という意味。
アイヌの死者の国は、この人間世界の生活がそのままの連続であるという。肉体の遊離した霊魂は、他界に行って、再び肉体を得て復活し、親子・夫婦仲よく生活するものと信じているのである。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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