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久保寺逸彦 (1956), p.80-82
これも、やはり、自己の悲喜交々の感情、思慕の情、不運の境遇等を即興的に歌い出るものであるが、yaishamanena というシノッチャを基調とする点で、この名がある。
けだし、アイヌの抒情歌謡中、最もポピュラーなものであり、民謡的色彩に富むものといってよい。
yaishamanena という語の語原は、‥‥‥
yai (自身)
shama (模倣する)
ne (である)
na (よ)
と分解され、「自分を真似ますよ」「自身を表現するよ」ということであるが‥‥‥
結局、音声によって自己の心緒なり、行動なりを、そのまま描写することで、
すなわち「歌う」ということになる。
その内容は、すこぶる空想的・幻想的で、心の赴くままに、奔放自在に述べていくので、
自分の身は依然として、そこに在りながら、あるいは鳥と化して恋人の村を訪れ、涙ながらに恋人と言葉を交わすとか、
あるいはもしこうして私が死んでしまったら、あの人はなんといって悲しむだろうとかいったように述べていくので、
哀傷の中に享楽があり、誇張の中に夢幻的・非現実的なところがあって、
ひろく「歌」というものの起原を考えさせる好資料となるものである。
これは抒情歌といっても、客観的に事物を叙したり、あるいは自己の感情を傍観的に述べたりする点で、かなり叙事的要素を含んでいるので、厳密な意味の抒情詩とは、必ずしもいい切れない。‥‥‥
‥‥‥いかに即興的に作られるとはいいながらも、その表現には、ある類型的なものや、常套的なものがある‥‥‥
「ヤイシャマネナ」という折り返しの基調となる曲調も、もちろん、個人的の特質、すなわち声の美醜、節廻しの巧拙などによって違う。
同一の人でも、幾つかの節廻しを持っていて、歌詞により、歌う場の雰囲気によって、種々に変えて歌う。
しかも、それが、歌手の気分によって支配されることも多く、同じ歌を同じ曲調で歌いながら、時には、まるで別人の歌かと思われるほど、微妙な変化を来たすことさえある‥‥‥
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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