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Batchelor (1927), pp.68-70
アイヌの女性は大変早起きで、終日たゆまなく働く。
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ペンリ老人が耕している畑というのはほんの僅かな地面で、そこには何本かのタバコの苗が植えであったが、老人は自分がタバコを吸うために次々と葉をむしるので苗は半ば枯れていた。
春の繁忙期になると、女たちは寝床から起き出して僅かな時間に冷えた野菜汁を急いですすり、農具を肩にして出かけ、畑の土を起こしてそこに種を蒔く。
夕暮れになると大きな薪の束を背負って家に戻る。
家の中にはタ鍋の仕事が待っている。
水を汲みに行き、(水汲みだけは私が手伝うことを許されていたが) 家族皆が食べるための夕食を用意する。
食事がすむと後は寝床に入って眠るだけである。
彼女たちの食事の量がびっくりする程多いのを何度か見たことがある。
彼女たちは腹一杯食べると、満足げにほっと一息ついて、「ィペ・アエラム・シンネ」という。
これは、〈これでやっと食べ終わった気持ちになる〉という意味を表す。
事実、彼女たちはにこやかな顔つきをして腹一杯食べるのであった。
ここで併せて触れておきたいことがある。
つまり家から遠く離れた所に畑がある場合には、士起こしから種まきが終わるまでそこに小さな仮小屋を建てて、そこで寝泊まりをすることも多かったようである。
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夏になると、女性たちはそれほど忙しくなかったようであるが、それでも、時間のかかる仕事が色々とあった。
まず、炎天下に畑の草取りをしなければならなかった。
布を織るための材料にする木の皮を剥がねばならなかったし、それを糸状に経って布を織らなければならなかった。
またゴザ (茣蓙) も編まねばならなかった。
秋がめぐって来るとすぐ、急いで黍をとり入れ、豆を収穫し、蕪や人参を土から抜きとり、じゃが芋も掘らねばならなかった。
黍の収穫の仕方は大変簡単であった。
これには、貝殻や石を用いていた昔が偲ばれるような道具を用いていた。
小さな貝殻で黍の穂先の実の部分を摘みとりながら畝の間を歩いて行けばよかった。
茎の部分はそのままにしておいた。
畑の収穫が終わって間もなく、女性や子供たちは山へ栗拾いに出かけた。
粟は重要な食料源であった。
また山ぶどうも採集した。
この頃、女性たちはオオウパユリの根も掘った。
これを洗い、よく煮てどろどろの状態になるまで搗き砕き、これを丸めて天日に干して冬の食料に備えた。
人びとの間にはとり立てていう程の農具はなかった。
畑には特に肥料を入れることもなかった。
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引用文献
- Batchelor, John (1927) : Ainu Life And Lore ─ Echoes of A Departing Race
Kyobunkwan (教文館), 1927.
小松哲郎 訳『アイヌの暮らしと伝承──よみがえる木霊』,北海道出版企画センター, 1999.
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