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高倉新一郎 (1974), p.137
アイヌは古くから本州人と交易をしていたが、本州人は
米・酒・こうじ・塩・たばこなどの嗜好品、
鍋・小刀・刀・針・耳輪・たばこ入れなどの金属製品、
古着・反物・糸などの繊維製品、
漆器・樽などの器物
を持ってきて、アイヌの
干し魚・魚油・獣皮・鷹・鷲羽・アツシ・編み物・彫刻品など
と交易した。
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砂沢クラ (1983), pp.34-36
祖父のモノクテエカシが、いつも聞かせてくれた孫じいさん (曽祖父) の、そのまたじいさんの時代の話です。
むかし、むかし、アイヌたちは毛皮を船いっぱいに積んで遠い海を渡り、アトゥイヤコタン (海の向こうの国=大陸) へ行っては、宝物や着物、食べ物や酒と換えて帰ってきていました。
ある年、私たちの祖先のおじいさんが親せきを引きつれて海を渡って行きましたが、しばらくして下男が一人だけ、やっと息をするようにして帰ってきました。
下男は「外国へ着くと、ご苦労と酒を飲まされたが、毒が入っていて、みな、眠るように折り重なって死んだ。私は飲まなかったので、どうにか船にたどり着き、神のおかげで逃げ帰ることが出来た」と言いました。
このことがあってから、アイヌはアトゥイヤコタンへは行かず、ヤユンモシリ (わが国) の青森 などへ行くようになり、酒を飲まされても、死なないで帰ってくるようになったのだそうです。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1974) :『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
- 砂沢クラ, 『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
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