Up 生業暦 作成: 2018-12-24
更新: 2019-02-01


      「根諸場所大概書」, p.582
    男は春三月上旬よりにしん漁にかかり、
    にしんは製して干すを外割りと言う。
    子を干し上げ、数の子・白子を仕立て、えらを干し上げ笹目と言う。
    たら・さめ漁も有り。
    夏は椎茸をとる。
    煎海鼠も少し宛あり。
    ます漁は数か所に引き網して油をてんし粕を干し立てる。
    八月よりは鮭漁にかかり、
    塩引きとして年内江戸表へ積み回し秋味と唱う。
    場所第一の出産物なり。
    十月頃より夷人川上へ登り鮭を取りて食料にたくわえ、
    多き年はあたつ鮭 (干し鮭のこと) とて交易にも出すなり。
    これより寒中春へかけ、
    雪中川筋にて鷲を捕え、
    山に入り獣を狩り、
    氷海に出てあざらしを取り、
    肉を食し、尾羽・革を交易に出すなり。
    女は右漁事の手伝いを致し、場所に寄りて厚し (アツシ) を織り男女着用をすれども、一体厚し不足の土地にて多くはきな (むしろ) あるいはすだれを織り、業として暮らすなり」

      「佐留場所大概書」, p.543
    夷人業は
    春は海辺へ出て釣物をなし、
    夏は生海鼠を引、昆布を刈、
    秋に至千年川鮭漁出稼致し食糧を貯へ、余分は干立て荷物に出し、
    冬は山家へ帰り漁船又は網を拵へ、榀縄をなひ、 女は厚しを織、キナ(むしろ)を編み、
    男女共春より秋迄漁業、
    手透の節は粟、稗を作り、或は茎立の草 同根を刈取、魚へ交て食糧資とす。
    一体夷人大勢にて産物乏しき場所故、夷人経営不宜方也。


    引用文献
      引用文献
      • 『東蝦夷地各場所様子大概書』「佐留(サル)場所大概書」, 1808
        • 北海道[編]『新北海道史 第7巻 史料1』, 北海道, 1969. pp.539-543
      • 同「根諸(ネモロ)場所大概書」, 1809
        • 同. pp.580-583