Up 鯡漁 作成: 2019-02-08
更新: 2019-02-08


      串原正峯 (1793), pp.496,497
    鯡漁の事
    鯡網壹把といふは、網の目長さ二寸三、四分、網の幅目の数三十九、四十位、長さ貳丈七尺を壹把とす。
    五把を一放しといふ。
    碇縄は藁にて、三つ繰に打て、夫を十尋位に切、頭に浮を付。
    浮は木にて長さ七寸位、枕のことく拵、網の根に重さ壹貫目位の石を結付る。
    是を碇と云。
    又ナツチ石といふは、貳、三百目位の石を細縄にて結拵置、海へ差込む前に
    網五把一放しに結目々々に結付、網を海へ差込時しつみ安きやうに付、タクを置なり。
    タクといふ事は、鯡群寄たる時早速差込安きやうに拵積置事なり。
    請取((鍵))どいふは、木にて圖のごとく拵、是は船の表に置て、波風有節浮の近所へよりたる時、此鍵にて早速引寄取るなり。
    船を乗出に圖合船は六人乗組、夷船は三人にて乗出す。
    扨夫より網をとりあげ、鯡薄き時は五放くらひ、厚く掛る時は二放、三放位引上来る事なり。
    引揚る時の(とも)に竿貳本出し、夫へ艫網といふをかけ、網引揚る時網より洩落る鯡此艫網の内へ入る。
    網揚仕廻て、其所より右の艫網を岡へヤツサヤツサと懸聲をしてナツホえ引揚るなり。
    此ナツホといふは鯡あげ置所をいふ。
    網を舟へ取込時、網より洩る鯡をヘゲといふものにてすくひ上るなり。
    へグの圖も後に出す。
    鯡をナツホえ持運ふには、圖のこときもっこふに入、凡貳斗樽壹盃程入るなり。
    是を以て貳人してナツホへ持運なり。
    鯡の腸を取る事を鯡を潰すといふ。
    右鯡つぶしの時はメノコのする業なり。
    是を繋ぐは男夷なり。
    シャモ地にては シャモ地とは日本地といふ事 十四疋づゝ十三連を一束といふ。
    百八拾貳疋なり。
    蝦夷地は、二十疋づゝ十連を一束とす。
    二百疋なり。
    右の、木の枝にて圖のことく鍵を拵 圖後に出す 是を後先にて二つ荷棒の先へかけ、持運びて納屋上けいた((す))
    納屋とは濱邊に柱を立、其上に横に木を渡し、夫へ束たる鯡を懸て干すなり。
    宗谷の納屋も高さ人のせゐ丈けにて、長さ凡三十間程、幾通りもあるなり。
    納屋上いたし一日程風に吹せてほすなり。
    (さき)様は頭の際より尾の際迠左右とも切下け、是をみがき鯡ともいふ。
    外割は二つに割、片((方))骨付なり。
    此ことくして納屋に懸置、三十四、五日も干置、其上にて結上るなり。
    数の子は、鯡潰す時、数の子、白子、笹目 笹目といふは鯡のゑらの事なり に撰り分け、白子、笹目は上方へ廻し田畑のこやしと成。
    近江、美濃なとは皆此肥しを用ゆ。
    (ほか)こへ((肥))を用るより田地に合ふよしなり。
    白子今は食用にもいたすよし。
    宗谷にて干たる白子を湯煮にし胡麻味噌にてあへ、飯の菜となし食して見るに、風味至てよろし。
    さて数の子、白子を干すには、鯡の腸をとり出したる時は数の子和らかにて、直に干ばみな/\潰れて粉に成なり。
    故に数の子撰分けて、大樽か又は箱へ入て二、三日も寝せ置時は堅く成なり。
    共時簾又は莚の上に乗せて干上るなり。
    白子は直に干上るなり。
    且鯡群れ来る所は昆布、若布(わかめ)其外藻生立所ヘクキルなり。
    右昆布、藻に子をすり置事なり。
    其白子堅まり、風波ありても流る事なく、右の白子にて海上一圓眞白にみゆるなり。
    其時舟乗出し、前文にいふごとく((豫))てたき置たる網を海へ差込なり。
    網有合をのこらず差込、其後沖場をする事なり。
    近くへ鯡クキぬれば、一日に七、八度も船を出し、網あげする事なり。
    船乗場遠方なれば五度、三度ならでは乗る事ならず、其内風荒吹時は、網取事も成兼(なりかね)、多く捨る事なり。

      同上, p.497
    鯡交易の事は前文煎海鼠交易の所にもいふごとく、米、酒其外小間物種々のものにて交易なすといへとも、都て直段は米より割出す事なれば、米と交易する割合にて是を説に、
    米八升入壹俵に付鯡六束づゝにて交易なすなり。
      [米1俵 〜 鯡6束 = (200 × 6)疋 = 1200疋]
    数の子と白子とは二品とも夷の手元より交易なす。
    直段は同様なり。
    米八升入壹俵に付各三樽づつ、笹目は六十樽なり。
    壹樽といふは貳斗樽に山盛にして一盃なり。


    引用文献
    • 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.