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串原正峯 (1793), p.491
海鼠引漁は圖のことくなる海鼠引網を夷船に乗せ、海上へ乗出し、兼て見立置たる海鼠のある所にて此網をおろし、縄の先に圖のことくなる木の碇を付置、是を最初の所へおろし、凡百間斗も舟を漕行て網をおろし、網に付たる縄の端を船の櫨へ結ひ付、夫より碇の縄を手にて操り、最初の所へくり寄て網を船の中へ引揚るなり。
能き泙合にて當り漁の時は、一網に百二、三十も引揚るなり。
終日引て、壹人にて能漁の節は貳千程も取る事あり。
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同上
其日引たる海鼠を 水海鼠と云。未いりこにせず,引上たるまゝなり 船に積たる儘にて運上屋敷の濱邊へ漕来る。
其時會所より改に出、海鼠數を算へさするに、
一とよみ五つ宛、
シネツプ 一
トップ 二
レツプ 三
イネツプ 四
アシキ 五
イワン 六
アルワン 七
ツベシ 八
シネベシ 九
トヲ 十
と云なり。
十は夷言にてワンベなれとも、日本語覚えたるにやトヲと呼なり。
算ゆる事をピシケといふ。
右のことく五つ宛十算へたる時、改に出たる者、手帳に海鼠引夷の名前を記し、其上へ十とよみたる時正の字の一畫を書記し、算へるに隨て一くわくづつ是を書。
一畫は五十なり [5 × 10 = 50]。
正の宇一字出来て二百五十なり [50 × 5 = 250]。
二字にて五百と成 [250 × 2 = 500]、
段々算へ、
最早残り五十はなき [正の字一画にならない] と見積る時は、此度は [一とよみ五つ宛ではなく] 一よみ二つ宛シネツフ、トツプと順にかぞへ、
算へ仕廻て、たとへは
五百三十五
あれば
[ 5 + ( (−10) + (7 × 20) ) + (202?) ]
アシキネツフ [5]、
イカシマ [+}、
ワンベ [10]
ヱ [−]
アルワ [7]
ノホツ [20]、
イカシマ [+}
ツシネワノホツ [202?]
斯のことくいふなり。
是か五百三十五といふ言葉なり。
五百三十五 [ごひゃくさんじゅご] は日本語九つなり。
蝦夷言にては三十一なり。
まわり遠なるいひかたなり。
右引高を改の者銘々日々手帳に付置なり。
是は煎海鼠にして講取時は、夫迠に抜荷等させましきため、水海鼠にて数を改置事なり。
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同上
右其日の引高に應し
五百以上引たる夷へは酒壹盃づつ、
千以上引たる夷へは貳盃づつ、
右の高引たる夷の腕に矢立の筆にて書記し遣せは、夷會所へ行て腕をまくり見する故、夫を證據に右のにこり酒褒美に呑する事なり。
是此度出役先の思ひ付にて、はげみの為如レ斯せしなり。
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同上
扨夷とも改を請て水海鼠を我家々々へ持行、
または濱邊にても
直に大鍋に湯を涌し、引揚たる儘にて鍋へ入しばらく煮る。
煮上りて是を引上、長壹尺斗の串を拵、
夫へ十つゝ串柿のごとくに通し、
十本 [10 × 10 = 100] を一連として圍爐裡の上へ釣し、
四、五日も乾し上け、又は日當りにでも干すなり。
十連にていりこ数千なり [100 ×10 = 1000]。
束となして會所へ持来る。
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同上
交易は煎海鼠百に付玄米五盃、但し壹盃は貳合五勺入椀なり。
[煎海鼠百 = 玄米 一升貳合五勺]
酒なれば右の椀にて三盃づつ、
[煎海鼠百 = 酒 七合五勺]
其外の品と交易なすにも右に准したる價なり。
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同上
右會所に溜りたる煎海鼠を、メノコを呼集、會所の板の間にて串を抜するに、
但しメノコ四、五十人又は七、八十人も寄る事ノも有り。
是は小使 小使は村々組頭といふものにて夷の内働有者なり に申付、會所最寄のメノコを集る。
ケ様の事はメノコの役にてする事なり。
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引用文献
- 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
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