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高倉新一郎 (1974 ), pp.129,130
アイヌはまたよく水路を利用した。
船としては木を割って作った丸木船とそれに側板をつけて大きくした縄綴じ船があった‥‥。
前者は主として川や湖沼で、後者は海で使われた。
船を動かすには櫂および竿を使った。
アイヌの櫂は松前で軍櫂と呼ばれたオール式のもので、まん中にあけられた穴を船縁につけた臍にはめ、船内の座板に腰をかけ、アバライタをふんまえて両手に櫂を持ち、後へ向けてこいだ。
舵をとるのには船尾で櫓をあやつった。
縄綴じ船には、このほか扇帆といって棒にキナムシロを横に、両辺を結びつけ、一方を固定し、一方の棒をもって加減しながら操る帆を用いることがあった。
錨は叉木に石の重りをつけたものであった。
上陸すると船を岸の上に押し上げ、これを伏せて屋根にしてその下で休んだり、櫂を結んで円錐形を作り、その上にキナムシロを巻き、天井から綱を下げ、その先に鉤木をつけ鍋をかけ、下に火を燃して野宿した。
越年などする時は、縄綴じ船の縄を切って船材として積んでおき、必要な時に組み立てて使った。
物を運ぶ時、もしくは急流をさかのぼる時は岸から船に綱をつけて引いたこともあった。
その時一人が棒で舵をとるため、船の舳先に凹みをつけたものもあった。
‥‥
縄綴じ船は綴じ合わせに苔を詰めていたが、よく水が入るので、一人がアカクミで船の中のアカを絶えず汲みとりながら走った。
船路が近い所は船をかついで陸を越したが、また木皮船を急造して使った。
木皮船はえぞまつ・きわだ [キハダ] などの木々の樹皮を丸剥ぎにし、その両端を折りたたんで内部と縁とを木枝で補強したものである。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
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