Up 「利敵者」の粛清 作成: 2017-03-20
更新: 2017-03-20


      須貝光夫『この魂をウタリに──鳩沢佐美夫の世界』, 栄光出版社, 1976.
    pp.206-208.
     以上のような諸々の胎動を集団の中で確認し、明日に向って、主体的な一歩を踏み出したのが、四十八年一月二十一日、札幌ほくろうピルで開催された「全国アイヌ語る会」である。
     ‥‥‥
     この会がいかに熱気をおびていたか。
    それを象徴しているが、一月二十二日付朝日新聞、紙上録音のひとこまである。
    〈わたしはいいトシをしていながら脱アイヌ派だ。われわれは優秀な民族だと世間に誇れるか。残念ながら、昼間からショウチュウ飲んでゴロゴロしているウタリを知っている。必要なのは教養だと思う〉(静内町初老の男性)
    〈アイヌからそんなひどいことをいわれるなんて、考えてもいませんでした。ハラが立ちます。あなたは、アイヌがどんな歴史をたどったか知っているんですか〉(前の発言者に向って、平取町の若い女性はキッとなる)」

    この憎悪は,どんなタイプの憎悪か。

    「敵を打倒」イデオロギーは,同調しない者を「利敵者」にする。
    「利敵者」は,イコール「敵」である。
    したがって,打倒すべき者である。
    ただし,このときの「打倒」は,対象が同族の者であるから,「粛清」と呼ぶ。

    「粛清」は,「敵を打倒」の意気の高さを競い,日和見と見られないよう互いにピリピリしたグループにおいて,現実のものになる。
    1971年の連合赤軍山岳ベース事件──「総括」と称するリンチで29人のメンバー中12人を短期間に殺害──は,まさにこれであった。
    この事件が特別なものでないことは,中国文化大革命のときの死者数 40万から1000万以上とか,ポル・ポト政権下の粛清の死者数 50万から300万とかが示す通りである。