Up "アイヌ"史の要 : 要旨 作成: 2017-01-16
更新: 2017-01-16


    イデオロギーは,事実捏造・歴史改竄をしようとする。
    事実が,イデオロギーにとっていちばん都合の悪いものだからである。

    「アイヌ特権」は,アイヌ終焉後アイヌ系統者が一体のものであることを要する。
    こうして「アイヌ特権」の策謀は,「アイヌ民族」イデオロギーをつくり出す。
    「アイヌ民族」は,虚偽である。
    虚偽は,アイヌ史・"アイヌ"史によって曝かれる。
    「アイヌ民族」イデオロギーは,アイヌ史・"アイヌ"史の改竄を行動する。


    イデオロギーは,<善玉・悪玉>の単純思考である。
    イデオロギーは,幼稚な思考様式である。
    しかし,単純・幼稚であることは,ひとが入って来やすいということである。
    こうして,アタマの悪い,あるいは未熟な「アイヌ学者」のうちから,「アイヌ民族」イデオロギーに同調し,アイヌ史・"アイヌ"史改竄の役を買って出る者が現れる。

      「アイヌ民族」イデオロギーのお先棒を務めた「アイヌ学者」は,後から間違いがわかっても,引っ込みがつかない。
      こうして,「アイヌ民族」イデオロギーの御用学者の位置づけを負ったまま,一生を終えることになる。
      「引っ込みがつかない」とは,自分で自分を「引っ込みがつかない者」に定めてしまうということである。
      よって,「やってしまった」と気づいたら,さっさと転向すればよいのだが,小市民感覚の者はこれができない。
      河野本道は,転向をやってのけた希有の者である。
      《未熟 → 虚偽の論につく → 引っ込みがつかない》は,学術のどの分野にも見られることである。
      未熟な「学者」は,よくよく警戒すべし。


    こうして,"アイヌ"史を示すことは,「アイヌ民族」イデオロギーを敵に回すことである。
    翻って,「アイヌ民族」イデオロギーを退ける実践行動は,"アイヌ"史の顕示である。

    "アイヌ"史は,何を以て「アイヌ民族」の虚偽を論駁することになるか。
    「アイヌ民族」は,アイヌ終焉後アイヌ系統者を一体のものに見せようとするものである。
    そこで "アイヌ"史のすることは,「アイヌ終焉後アイヌ系統者の生き方の多様性」という事実を示すことである。
    ──これが "アイヌ"史の(かなめ)である。

    <"アイヌ"史 -対-「アイヌ民族」イデオロギー>は,<多様性 -対- 単一主義>である。
    ただしこれは,"アイヌ"史が多様性を主義にするということではない。
    科学は,自ずと多様性を見ることになる。──多様性が主題になる。
    多様性が,事物の在り方だからである。