政治"アイヌ" は,利権"アイヌ" に進化する。
生計"アイヌ" も,利権に付く方が有利であるから,利権"アイヌ" 化する。
文学"アイヌ" は,潔癖性の者であるから,利権"アイヌ" を批判する者になる。
鳩沢佐美夫は,つぎを著しているとき,この文学"アイヌ" である:
「対談・アイヌ」,『日高文芸』, 第6号, 1970.
(『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』(草風館, 1995) 所収)
以下,『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』から引用する。
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pp.160
ところが、ウタリー協会などという名称で、組織があることになっているから、まさに奇々怪々さ。
とにかくアイヌということを自ら売り込もうとする層と、サザエのように口を噤む階層があるっていうこと。
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p.161
その貧富の差ということで、われわれがまったく関知しないところで、変なデータがあがっちまっているんだ。
‥‥‥
つまり、アイヌはこれだけ貧しいのだ、という新聞発表があったりした。
そして、その翌年から "旧土人環境改善策" という国の施策が打ち出されたわけだ。
★ へーえー。そうかな、私の住んでいたH町にも、そんなに困ったような人がいなかったと思うけどね。
☆ うん、だからね、誇張という断定まではしたくないが、他の面でアイヌの貧しさが利用されている、ということを、まず指摘したいのだ。
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pp.164,165
先の国会資料を提供してくれた貝沢正さん (町議・ウタリー協会理事) も嘆いていたが、
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アイヌ人はまったく考える能力がない。
国から3億円出ているというが、地方自治体も3億の上積みをすることになっている。
してみると、6億円のアイヌ対策費ということだが、政府の発表どおり5千世帯で割ったとしても一世帯 12万もの恩恵に浴したことになっている。
がはたしてどうか‥‥‥」
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ね。
この矛盾をなぜ気づかないのだ、ということだ。
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pp.165
政府はアイヌ対策だという。
その調子で全道の過去8年の事業結果を調べるとしたら、おそらく2万5千人いるというアイヌは、みんなマンション住いで恵まれた環境にあると思う。
‥‥‥
もろもろの事業を含めると、とてもじゃないけど僕の頭では計算できないぐらいの膨大な事業内容だ──。
まったく物の言えないアイヌ、哀れなアイヌ‥‥‥ 。
まさにそのものじゃないかい‥‥‥。
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註 : |
鳩沢はここで,「アイヌ対策」が利権になっていることを,ほのめかしている。
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p.167
その旧土人保護法を改正し援護措置を盛るべし、という声が 25.7% ──-。
新法要が 9.6%。
現行のままが 6.7%──。
いい、これを総合すると 42%‥‥‥。
その一方に、廃止がたった 5.2%という結果だ。
ここにいたるとね、僕ももう何も考えられなくなってくる‥‥‥ 。
アイヌ対策というか、特別立法を要するほど、われわれには何か特殊性があるかということ──。
つまり同じアンケートで、「あなたはアイヌ語を知っていますか」で「少し」が 46.7%。
「否」が 30.5%──。
答えている年代はね、昭和5年以前に生まれた層が 95%を占めているんだ。
いわんや現代の世代では、特別視されるべき何物もない、といいきれないかね──。
だから僕は、このデータは、限られた地区の、いわば人口総数をフッカケタ形のトータルだと断定したいんだ。
協力したのが、その<ウタリー協会>というもんだからね。
僕の部落にはウタリー会会員など1人もいないし、ましてやアンケートに応じた家庭などないわけだ。
まあ、それをどこまでもこだわりにするんじゃないが、先ほどの国会の情景などが、たとえ一部でもテレピで全国中継されてごらんね、貧困と、いわゆる観光アイヌ、このイメージが重なって、家柄や血筋、金を目あての連中から差別されるのも当然なんだ。
全国的にそういう印象を与えちまうからね。
‥‥‥
もしさ、本当に物の言えないアイヌ、哀れなアイヌの声を代弁してくれるんなら、いいかい、「アイヌと差別されることは不当なんでありまして、政府は、過去にも、現在にも、何ら差別的な政策をとっていないんであります──」とやってほしかったね。
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註 : |
鳩沢はここで,「アイヌ対策」利権は,アイヌが「貧しく哀れなアイヌ」として特別視されることを要し,そのイメージをつくるものであることを,述べている。
鳩沢の立場は,「アイヌは,いまは特別視されるべき何物もない,特別立法など要しない」である。
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p.168
ところで、空飛ぶ円盤って、どう思うかな?
昭和 39年頃からこの町 [平取町] に施設 [ハヨピラ] ができているが‥‥‥。
‥‥‥
p.173
どうしょうもないんだ。
いくらね、アイヌの神を侮蔑した、根拠がないんだ、と叫んでみても、あれだけ多勢のアイヌが参加していてはね、‥‥‥
しかもいい、そのどうしょうもない状態がね、年々エスカレートしていく。
p.174
あれ以来、いろいろなアイヌ人に訴えかけたし、また訴えかけようとする。
この町には立派なアイヌ系の人が多くいるからね。
ところが誰一人としてそれを問題視しようとはしない。
かえって、逆に「お前の考えは頑なだ」と嘲笑される。
「いいではないか、年に一度のお祭だし、向うで金はくれるし、飲ませてくれるし、食わせてくれる──」
‥‥‥
今年あたりはね、祭典余興として熊祭までも挙行している。
しかもだ、円盤関係者と地元ウタリー協会が主催。
町と町観光協会が共催。
協賛が、航空会社から化粧、飲料品など各一流のメーカーとくれば、どこに個人の異論を挟む余地がありますね。
p.174
金を貰って、飲ませてくれて、食わせてくれる。
ね、そのうえ熊祭をさせてもらえる。
蛮性アイヌの利用価値だ!──。
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pp.187,188
で、そういったことでさ、この町 [平取町] 内のとある地区 [二風谷] がね、今、着々とそのアイヌ観光地として売り出そうとしているんだ。
なんかね、とうとう──来るべきところまで来たっていう感じなんだ。
昭和三十五年に、そのいわゆる "旧土人環境改善策" なるものを打ち出さなければならないんだ、という、不良環境のモデル地区、ね、写真入りで新聞に報道されたりした地域だ。──
最近では、公営住宅や、またそれぞれの努力などで、十年前の家庭はほとんど姿を消してしまった。
が、その生まれ変わったはずの聚落が、今度は俗悪なアイヌ部落の亜流化をくみとろうとしている!──。
なぜ、景勝や古蹟の乏しい山林に、こういった特殊施設を、アイヌ自ら、しかも今日の時点において作ろうとするのかね──。
そのことを彼たちに質すと、「アイヌがやらなければ、悪質なシャモ (和人) が勝手にアイヌの名をかたり、金儲けをするから」と言う。
「じゃ、そういう悪質シャモの排除にこそ努めるべきでないか?」ときくと、「われわれも、そのことで潤っている」──。
つまり、観光のおかげで部落もよくなり、業者からピアノも贈られた (小学校)。
何十万とかの寄付もあった──と、並ベたてられる。
「今それをやめろというのなら、じゃわれわれの生活をどう保障する」と逆襲さえしてくる始末。
そして、ね、これまで自分たちは観光業者に利用されて各観光地に立っていた。
だから、どうせやるんなら、そんな他所の土地で、シャモに利用されるんでなく、自分たちの部落でやったほうがいいのだ──という割切り方。
しかもだよ、ジョークなのか、アレゴリーなのか、昔はアイヌといって、われわれはバカにされた。
今度はひとつ、われわれアイヌを見にくるシャモどもをふんだまかして、うんと金をまきあげてやる。
「なあに、適当なことをやって見せれば、喜んで金を置いていくからな」‥‥‥。
ね、ドライというか、くそくらえバイタリティというか、とにかく、見上げたショーマンイズム──。
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p.190
某地にある資料館に行って一日立って見るといいい。
はたしてね、あのおびただしい観光団のうち何%があの展示物に目を留めるか──だ。
バカなシャモどもをふんだまかす、などといっていて、ここ五年や十年は、アイヌという貧相さを売物にした形の何か真似事はできるだろう。
まだ、明治時代の人々も生き残っているから‥‥。
でも、そこから先ね、「アイヌ語もわかりません」などと言っていて、どう観光というもののうえに、真のアイヌを描こうとするのか──。
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pp.202, 203
今年の六月、とある市長が音頭取りでね、その旧土人保護法廃止──という声がもちあがった。
ところが、それに真っ先に反対ののろしをあげたのがウ夕リー協会だ。
趣旨は、「差別の実証を葬るな!」と。
「今、何もかもを失ってしまっては、なおさらアイヌは惨めになる」と、ある協会幹部は言う。
しかしね、僕は、過去十年聞の事業内容の再検討というぐらいのデータを揃えてから、それをロにしてくれ、と言いたい。
わずか一管内の数地区を例にとっても、アイヌ居住地外の地区に生活館を建てたり、その他事業がなされている。
また耐用に十分という公民館を解体したり温存して、この事業に便乗という例 (五件) もある。
しかもS 地区にいたっては、この施設を自分たちの居住地に建てたい、というアイヌ系住民の願いがあった。
ところが、政治力がないばかりに和人たちのほうに持ち去られてしまった、という例さえもある。
しかもこういったね、矛盾した実情を、協会幹部が把握していながらなんらの手も打たない。
そのうえ、趣旨も不明確な観光事業にだけは積極的に手をかす──。
そのうえさらに、旧土人保護法を改正し優遇すベし!という、物くれ運動的な印象を強める。
生活館とは公民館構造だ。
だいたいこういう種の公共施設が、旧土人対策の一環ででなければやれないという不合理な話があるもんか!──。
育英資金と称するものも、今年は 75万、5名という枠になったそうだ。
しかし昨年までは、24, 5万という。
この数字に誤りがなければ、どこかお役所の部課長たちが、料亭の女の子にくれるチップにも足りないような額だ。
──ウタリの実態調査はできるか──、ウタリの弱い力が結集できるか──、などと疑問視しながら、対象事業の国庫補助、国有林野の払下げ──ね、こういう要望がいったいどこから出てくる。
物の言えないアイヌ、哀れなアイヌ、問題にならない生活程度という嘲罵のなかで、結局、厚生対策の貧困という全体的カムフラージュに、アイヌの名が利用されていると言えるのではないのか!──。
1万7千という当初の実態調査が、5万と脹れ上がった事実を見ても、これは明らかだ。
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註 : |
「アイヌ対策」は,利権がアイヌの名を利用するものである。
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p.203,204
それとこれは、とある地区の例だ──。
3百万円の借入金で、アイヌ救済事業的な一環として養豚施設を作った。
30 名からのアイヌが組合も結成し、事業は推進‥‥‥。
ね、ところが、70万の赤字を出して1年そこそこで崩壊だ。
"枝肉の暴落" という行きづまりで‥‥‥。
しかも、総工費の三分の一という価格で施設は和人たちの手に落ちてしまった‥‥‥。
いったい、これは何を意味すると思う、比較的統一のとれそうな地区においても、このありさまだ。
つまり、いかような理由をつけても、もうアイヌという名での統一はとれない、ということが考えられないかい。
こういうアイヌ対策にカを入れていた地元町長が、結局、その尻ぬぐいをさせられるにいたり、「アイヌには、いくら対策を講じてもむだだ。アイヌは勤労意欲が乏しく、能力がない!」と、新聞に叩きつけた。
ね、だから、僕がいいたいのは、一部のアイヌたちのそういった過ちも、アイヌは能力が乏しい──と、全体の名のうえにかかってくるということ。
ところが、こういう内部的な矛盾にも、アイヌたちは、誰一人として発言しようとしない。
‥‥‥ここらあたりになると、なんて言っていいのか、僕にもちょっと見当がつかんが。
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p.204
だからね、国有林野を払い下げろ、なんて言ってみても、それをどう運用するのか。
‥‥‥
不動産の所有は、ふたたび旧土人保護法の、不在地主という条項での没収──、か、ね、または、養豚事業所のように、安値で和人の手に溶ちるという現象が浮かんでくる──。
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p.204
そもそもだよ、アイヌというものの存在は、観光においてなのか、民族においてなのか。
現在のウタリー協会の在り方では、そのいずれもが不明確だ。
もし観光においてだとしたら、一部の人々に利する形の活動要求になる。
民族の名においての国有林野の払下げだ、とすると、南アフリカの悪評高いアパルトへイトという人種隔離政策を、アイヌたちは自ら求めるという結果になる。
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p.205
現在、千五百世帯約八千五百人で結成されているというウタリー協会だが、その実態はまったく不明確なんだ。
ある役場で「名簿を見せてください」といったが、係員はしどろもどろ。
そこで、管内を直轄する支庁までも行ったが、結局ない‥‥‥というのが実情のようだ。
しかも、僕の知っているある部落の有力者は、「あいつら、勝手に俺の名前を載せやがって」とさえ言っている。
またある協会幹部も、会員にいくら連絡しても、一部をのぞいたほかは反応がない、と嘆いていた。
p.206
今あるウタリー協会そのものね、それが誕生したいきさつやなんかがよくわからない、というのが実情らしい。
はたして、アイヌたちが、切実な目的意識を持って発起したものか、それとも地方自治体の便宜的な構成団体として組織されたものかどうか‥‥‥。
ね、だから、以前には協会上部で個人的な不正もあったとか、言われている。
p.206
福祉対策の立遅れを、全道五万人などと、アイヌ人口の貧しさを割増しした形の犠牲においてやっちゃならない
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pp.211,212
だから、過去の不当性を口にすると、なんかたまらなく空しいんだ‥‥‥。
なぜに、今こそ、この時点で‥‥‥とね。
そして一方に、媚びるような姿を見たり言葉を聞くと、倣慢にも腹立たしくなるんだ。
──被害者は、お前たちばかりじゃないだろう‥‥‥ って──。
戦後ッ子のあんたは見たことがあるかどうかわかんないけどね、以前に "傷病軍人" といって、募金箱を持った白衣姿の復員兵を街角などでよく見かけたもんだ。
この人たちは、第二次大戦で負傷し、手足をもぎとられたりした痛ましい戦争の犠牲者たちだ。
ところがあまりにも同情をかうような恰好をしたり、執劫に列車内などを戦争の不当性を訴えながら募金を呼びかけるんでね、国民からそっぽを向かれちまった──。
つまり、戦争の犠牲者はあんたたちばかりじゃない──ってね。
あの戦争で肉親を失ったり、家を焼かれた人、また精神的にも死をも体験するような被害を、当時の国民は皆蒙ったんだ。
そんなことで、この犠牲者も、いつしかわれわれの前から姿を消しちまった──ね。
それだけに、アイヌ問題もそうならないように‥‥‥。
現に、A市 [旭川市のこと] で持ち上がった旧土人保護法廃止の声、これなどね、はたして、アイヌ問題を真に考えてのうえでの発言かどうか──。
この法案を残しておいては、和人の非を認めるようなものだしね、廃止を叫べば、人道上も共感を呼ぶわけだ。
その一方に、アイヌを利用したような形の行事や産業には、この市も積極的だ。
数年前には、大々的なアイヌ祭と銘打ったり、その木彫のオートメ化、僕はまだ訪れたことがないが、この市管轄内にもアイヌ部落があるようだし──。
またこの春は、開道百年祭記念とかで何か像を作ったらしい。
そこに坐ったアイヌがいるが、差別だ、立たせろ!立たせない!でだいぶ新聞が賑わった。
するとね、立つとか、坐ったとかが問題じゃない、観光アイヌの一掃こそが先だ!──、という声が、本州読者から出て来る。
その物議をかもした記念像がだ、完成してきてその作者とそのヒューマンな市長が、相乗りで凱旋よろしく市中パレード‥‥‥ つい二、三日前テレビに出たばかりだ。
ね、これらをよく状況を通さず云々したくはない。
でも、つまりだよ、観光とアイヌ、木彫とアイヌ、北海道とアイヌ──ね、このイメージ化で、アイヌの今日的問題が打ち消され、俗化されたみやげ店や、行事演出の悪徳和人どもの非が、物の言えないアイヌ、哀れなアイヌ──のうえにのみ、全部ひっかぶされる。
──だから、傷病というハンディを背負って生涯を通さなければならない犠牲者 (傷病軍人) ──。
この人たちのように、いつまでも外見上の売込みだけにすがっていては、やがてね、本質的な現象が葬られ、虚構だけがのさばり出す‥‥‥。
そうなっては、もう手の打ちょうがないぜ。
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