つぎのようなことがあった:
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asahi.com 2006-08-12
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200608120394.html
アイヌの遺産「金成マツノート」の翻訳打ち切りへ
2006年08月12日23時04分
アイヌ民族の英雄叙事詩・ユーカラが大量に書き残され、貴重な遺産とされる「金成(かんなり)マツノート」の翻訳が打ち切りの危機にある。言語学者の故・金田一京助氏と5月に亡くなった萱野茂氏が約44年間に33話を訳した。さらに49話が残っているが、事業を続けてきた北海道は「一定の成果が出た」として、文化庁などに07年度で終了する意思を伝えている。
ユーカラは、アイヌ民族の間で口頭で語り継がれてきた。英雄ポンヤウンぺが神様と闘ったり、死んだ恋人を生き返らせたりする物語。
昭和初期、キリスト教伝道学校で英語教育を受けた登別市の金成マツさん(1875〜1961)が、文字を持たないアイヌの言葉をローマ字表記で約 100 冊のノートに書きつづった。92の話(10話は行方不明)のうち、金田一氏が9話を訳し、萱野氏は 79年から道教委の委託で翻訳作業を続けてきた。その成果は「ユーカラ集」として刊行され、大学や図書館に配布された。アイヌ語は明治政府以降の同化政策の中で失われ、最近は保存の重要性が見直されつつあるが、自由に使えるのは萱野氏ら数人に限られていた。
文化庁は「金成マツノート」の翻訳に民俗文化財調査費から28年間、年に数百万円を支出してきた。今年度予算は1500万円のうち、半額を翻訳に助成。同予算は各地の文化財の調査にも使われる。
これまでのペースでは、全訳するのに50年程度かかりかねない。文化庁は、「一つの事業がこれだけ続いてきたことは異例」であり、特定の地域だけ特別扱いはできないという。これをうけ、北海道は30年目を迎える07年度で終了する方針を関係団体に伝えた。
道教委は「全訳しないといけないとは思うが、一度、区切りを付け、何らかの別の展開を考えたい」としている。
樺太アイヌ語学研究者の村崎恭子・元横浜国立大学教授は「金成マツノートは、日本語でいえば大和朝廷の古事記にあたる物語で、大切な遺産。アイヌ民族の歴史認識が伝えられており、全訳されることで資料としての価値が高まる」と話している。
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金成マツノートには,92話がある (10話は行方不明)。
1979年からの28年間で,萱野茂 (1926-2006) は 24話を訳した。
そしてこれに,数百万 (円/年) × 28 (年) が支払われた。
1話未満の訳出に数百万円である。
そしてこの間,金成マツノートは萱野およびその周辺の者数人に囲い込まれることになった。
要約すれば無茶苦茶な話になるが,萱野茂にも同情の余地はある。
怠けていたというよりは,わからなかったのである。
しかし引っ込みがつかないので,そのままになった。
さらに「年貢」として合理化したかも知れない。
( 萱野茂の「年貢」論 )
金は天下の回りものである。
萱野茂に支払われた金も,「特定の地域だけ特別扱い」とはいえ,「経済効果」と思えば許される。
この場合の損失は,「囲い込み」の方である。
「金成マツノート」に対して行わねばならなかったことは,翻訳ではなく,一般公開である。
実際,萱野茂の世代には,翻訳をできるような者はもういなかった。
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砂沢クラ (1983), pp.330,331
白老に行った次の年 (昭和四十五[1970]年) の夏、川村の兄 (カ子トアイヌ) たちと白金温泉 (上川管内美瑛町) に行った時のことです。
兄に「九州から四百人の客が来ている。ユーカラをしてくれ」と言われました。
‥‥
お客さんは喜んでくれましたが、一緒に行ったアイヌはあまり喜んで聞かないのです。
「名寄のヤンパヌおばさんは声がよかった」などと言うのです。
ユーカラは声だけを聞くのでなく、歌われている内容が大事なのです。
ユーカラの言葉がわからない人が多くなって、声だけ聞くようになった、と思います。
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そして「一般公開」は,<全ページをウェブで閲覧できるようする>が,今日の形である。
- 引用文献
- 砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
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