Up 記述の一面性・事実の多面性 作成: 2016-12-02
更新: 2016-12-03


    記述は,記述の宿命として,一面的である。
    記述は,記述対象の一面の記述であるしかない。
    このことを以て,反照的に,記述対象の多面性を表すものである。

    記述対象の多面性は,記述の反照である。
    記述をポジとしたときのネガである。
    記述する者は,記述対象の多面性を思わねば,記述を誤る。
    記述を読む者は,記述対象の多面性を思わねば,読解を誤る。

    記述対象の多面性を知る方法は,他のいろいろな記述との比較である。
    ──即ち「比較」が,方法論である。
    併せて,翻訳本に対しては,原典の参照が適宜必要になる。


    例1:バードの記述とバチェラーの記述の比較
    Batchelor, John (1854-1944)
    The Ainu and Their Folk-Lore. 1901
    安田一郎訳, 『アイヌの伝承と民俗』, 青土社, 1995.
     
    pp.174-175
    WHEN I first came into contact with the Ainu women they appeared to me to be an astonishingly ugly, spiritless, and dejected set of human beings. The dark sooty-coloured tattoo marks upon the mouth and arms treated of in Chapter III., the unshod feet, the hair, matted and unkempt, the scanty, untidy garments, and a variety of other things, went together to give me that unfavourable impression. To me it is not surprising to find therefore, that some who have come into contact with them should have gone away disgusted, and with the opinion that it would not be any great loss to humanity if the Ainu were to become extinct. But that I am not of this way of thinking the appearance of this work and my life among them will prove.
    On better and fuller acquaintance with them, however, I do not find the women to be so sullen and uninteresting as they at first sight appeared. I am well acquainted with some two or three thousand of them, and among this number I find many who are indeed bright, modest and intelligent ; while some, barring the tattoo (yet even tattoo has a quaint kind of beauty peculliar to itself), are quite good-looking. All, indeed, are at times happy and merry, particularly when there are no strangers near, or a bear feast is in progress.

    p.165
    私がはじめてアイヌの女に会ったとき、彼女たちは驚くほど醜く、元気がなく、落胆した人間であるように私には見えた。
    第3章で述べた口と腕の黒く煤けた入れ墨、靴をはいていない足、櫛を入れていないばさばさの髪の毛、乏しく、だらしない衣服、そして他のさまざまなことは一緒になって、私にあの好意的でない印象を与えた。
    それゆえ、彼女たちに出会った人たちが嫌悪をいだいて立ち去ったり、アイヌが消滅するようなことがかりにあっても、人類にはなんら大きな損失にはならないだろうという意見をもったにしても、私は驚かないだろう。

    Bird, Isabella (1831-1904)
    Unbeaten Tracks in Japan. 1880
    金坂清則 訳注 『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012.
     
    Letter XXXVI―(Continued)
    The younger women were all at work; two were seated on the floor weaving without a loom, and the others were making and mending the bark coats which are worn by both sexes. Noma, the chief's principal wife, sat apart, seldom speaking.
    Two of the youngest women are very pretty―as fair as ourselves, and their comeliness is of the rosy, peasant kind.
    It turns out that two of them, though they would not divulge it before men, speak Japanese, and they prattled to Ito with great vivacity and merriment, the ancient Fate scowling at them the while from under her shaggy eyebrows.
    I got a number of words from them, and they laughed heartily at my erroneous pronunciation. They even asked me a number of questions regarding their own sex among ourselves, but few of these would bear repetition, and they answered a number of mine.
    As the merriment increased the old woman looked increasingly angry and restless, and at last rated them sharply, as I have heard since, telling them that if they spoke another word she should tell their husbands that they had been talking to strangers. After this not another word was spoken ‥‥‥

    pp.92,93
     若い女たちは全員が仕事をしていた。 そのうちの二人は床の上に座って(はた)を使わないで布を織り、残りの者は男でも女でも着ることのできる樹皮の着物[アットウアミ]を仕立てたり、手直ししたりしていた。 酋長の正妻のノマ[ノモ]は一人離れて座り、めったに口をきかなかった。
    一番若い女のうちの二人はとても美しい。 私たちのように肌が白く、その美しい顔立ちは頬がばら色の田舎娘のようだった。
    彼女たちのうちの二人は、男がいるところでは隠していたが、実は日本語を話せる。 とても陽気に、また面白そうに、笑い転げながら伊藤に話しかけていた。
    その彼女たち(いにしえ)の運命の三女神の一人[のような老女] は、太く毛深い眉毛の下から上目遣いににらみつけていた。
    私は彼女たちからたくさんの言葉を聞き取ったが、彼女たちは私の発音の間違いを耳にし大声をたてて笑った。 彼女たちは英国の女性に関してもいろんなことを質問したが、その中にはここで繰り返すに値するようなものはほとんどなかった。 彼女たちは私の多くの質問にも答えてくれた。
    面白がって笑う声が大きくなると老女はどんどん腹立たしくイライラしたような表情になり、しまいには彼女たちを激しく叱りつけた。 あとで聞いたところでは、これ以上しゃべるとおまえたちの夫に、異人と話していたと言いつけてやるぞと言っていたという。 [そのため]このあとは一言も話してもらえなかった。

    Letter XXXVII
    Passing travelers who have seen a few of the Aino women on the road to Satsuporo speak of them as very ugly, but as making amends for their ugliness by their industry and conjugal fidelity. Of the latter there is no doubt, but I am not disposed to admit the former. The ugliness is certainly due to art and dirt. The Aino women seldom exceed five feet and half an inch in height, but they are beautifully formed, straight, lithe, and well-developed, with small feet and hands, well-arched insteps, rounded limbs, well- developed busts, and a firm, elastic gait. Their heads and faces are small; but the hair, which falls in masses on each side of the face like that of the men, is equally redundant. They have superb teeth, and display them liberally in smiling. Their mouths are somewhat wide, but well formed, and they have a ruddy comeliness about them which is pleasing, in spite of the disfigurement of the band which is tattooed both above and below the mouth, and which, by being united at the corners, enlarges its apparent size and width. A girl at Shiraoi, who, for some reason, has not been subjected to this process, is the most beautiful creature in features, coloring, and natural grace of form, that I have seen for a long time.

    pp.104,105
    札幌への道[札幌本道] で数人のアイヌの女性を見かけた[西洋の] 旅人たちが、とても醜いが、勤勉にして貞節であることはその醜さを補って余りあると話すのを耳にしたことがある。 しかし、後者は疑いの余地がないものの、前者については認めたいとは思わない。
    醜く見えるのは入墨(アート)[ヌイェ] と汚れのせいである。
    その身長が5フィート0.5インチ[ 153センチ]を超えることはめったにないが、体型は美しい。
    すらりとし、しなやかで、よく発達している。
    手足は小さく、足の甲はよい具合にア─ チ状になり、四肢は丸みを帯び、胸はよく発達し、歩き方は[日本人の女性と違って]しっかりとし元気である。
    頭と顔は小さいが、髪の毛は男性と同じように豊かにあり、やはり男性同様、顔の両側にふさふさと垂れている。
    歯は実にすばらしく、笑う時には[日本人の女性と違って]歯を屈託なく見せる。
    口はやや大きめではあるが、形がよく、唇も[本来は] 赤みを帯びて美しい。
    ただ、口の上にも下にも入墨を帯状にしているせいで本来の美しさが損なわれている。 ロの上と下の入墨 が両端で一つになっているために、口は実際以上に大きくかつ幅広く見えてしまうのである。
    白老で出会ったある少女は何らかの理由で入墨をしていなかったこともあって、目鼻立ちや血色、生まれつきの優美さのどれをとってもこの上なく美しかった。 長い間目にしなかったような美人だった。

    Letter XXXVII―(Continued)
    The women are occupied all day, as I have before said. They look cheerful, and even merry when they smile, and are not like the Japanese, prematurely old, partly perhaps because their houses are well ventilated, and the use of charcoal is unknown. I do not think that they undergo the unmitigated drudgery which falls to the lot of most savage women, though they work hard. The men do not like them to speak to strangers, however, and say that their place is to work and rear children. They eat of the same food, and at the same time as the men, laugh and talk before them, and receive equal support and respect in old age. They sell mats and bark- cloth in the piece, and made up, when they can, and their husbands do not take their earnings from them.

    pp.120,121  先にも記したが[アイヌの] 女たちは一日中仕事をしている。
    また楽しそうだし、微笑む表情には陽気な感じさえする。
    年齢よりも早く老けた感じになる日本人[の女たち] のようなことはない。
    それは一つには、家の換気がよいうえに、炭を使うことと無縁なためかもしれない。
    また実によく働くことにはちがいないが、ほとんどの未開人の女性たちが強いられている辛く単調な仕事をさせられているようには思われない。
    ただ男たちは、女がよそ者と話をするのを嫌がり、女の本分は働くことと子供を育てることだと思っている。
    [もっとも、] 女たちは[和人とは違って] 男たちと同じものを一緒に食べるし、男たちがいるところでも笑うし話もする。
    そして歳をとると男と同じように扶養され尊敬される。
    莫産を売ったり、樹皮を布にしたり、それで着物[アットウシ] を作って売りもするが、男たちはその収入れ}横取りなどしない。

    例2:バードの記述の中から比較
     
    p.69
    このように万事調和がとれている中での唯一の不調和はアイヌの姿が見えることだった。
    生来進歩というものと無縁な悪意のない人々は、征服された名もなき民族をあまねく受け入れてきた広漠たる墓場へと向かい始めているのである。

    p.84
    東洋の未開の人々と西洋の文明人とが一つ屋根の下で相対していた。
    未開の人が教え、文明人が教わりながら。
    そして肌の黄色い伊藤が両者を結びつけながら。伊藤は、西洋の文明などその前では「幼子のごとき者」であるかのような[東洋の] 文明の代表者であった。

    pp.100,101
    初めは未開の人々の暮らしに潜む味気なさが魅惑の陰に隠れていたが、その魅惑が時間の経過とともに失せていくと、動物のような生活に必要なもの以外にはこれといったもののない暮らしであることがわかった。
    ただ、内向きで、単調で、よいことに乏しく、暗く、退屈で、「希望をもたず、この世の神を知らない」その暮らしは、少なくとも他の多くの先住民の暮らしに比べればかなり高度でもっとよい。
    あえて言えば、洗礼を受け洗礼名を授けられ、最後には聖なる土地に横たえられるにもかかわらず、キリストの教えに従わないわが国の大都市の多数の堕落した人間の暮らしよりもかなり高度でもっとよい。
    アイヌは誠実で概して慎み深く、どこまでも人をもてなす心を有し、人に敬意を払い、老人に対して優しいからである。

    p.165
    木が繁ったり岩が露出する小山、そこに建つアイヌの家、沈みゆく夕陽を浴びていっそう赤みを増す有珠岳の赤い嶺、網を繕ったり食用の海草[昆布] を広げて干している数人のアイヌ、金色に輝く鏡のような入江に航跡を残して音もなく滑ってゆく一般の丸木舟[チ]、「優しい目に憂いを秘めた」表情を浮かべ静かに歩いている二、三のアイヌ、夕方の静けさと溶け合うようなその光景、寺の鐘のこの世のものとも思えぬ甘美な響き──これがすべてであるその光景は、私がこれまで日本で見てきたなかで最高に美しいものだった。