Up フィールドワークは,遅きに失する 作成: 2017-01-27
更新: 2017-01-27


    フィールドワーカーは,つぎの二重の意味で,出てくるのが遅きに失する:
    • アイヌは,既に終焉している
    • アイヌ系統者の状況は,社会問題になっている

    実際,バチェラーの時が,ラストチャンスである。
    そして,彼のやり方だったから,フィールドワークが成った。

      泉靖一『フィールド・ワークの記録、文化人類学の実践』(1969), pp.4,5.
     私はフィールド・ワーカーだとよくいわれている。 考えてみると、二十歳以後の私の生涯は、フィールド・ワークの連続であった。 しかし、私はほんとうにフィールド・ワークが好きなのか、またフィールド・ワーカーとして適しているのか、疑問である、という反省がこのごろ私の心のなかを去来している。
    というのは、私にとって、フィールド・ワークにはつねに苦痛がともなう。
    文化という漠然たる対象は、フィールド・ワークの場では、具体的な個人のよろこびや悲しみに直接つながっているし、発掘にさいしても現地の労働力なくしてはなんにも行なえない。 つまり、主体と客体がはっきりしていなければならない学問の世界に、人間関係がどうしてももちこまれてしまう。 天文学者が星や太陽に対するように、動物学者が鳥や魚をながめるように、文化人類学者が人間を観察し、記述することはむずかしいし、苦しいのである。
    ただこの苦しさの程度は個人によって異なる。 いぜんは、私もさほど強く苦痛を覚えなかったが、次のような事件から、私のフィールド・ワーク観が変わってしまった。
     昭和二十四年(一九四九) の夏のある日、北海道の十勝太にあるカラフト・アイヌ系の老女を訪ねて、カラフト・アイヌについて私のもっている学問上の疑問をただそうとした。 そのとき彼女は大声で私をどなりつけた。
      ──おめたちは、カラフト・アイヌがどんな苦労をしているか、どんな貧乏しているかしるめえ、それにのこのこ、こんなところまで出掛けてきて、おれたちの恥をさらすきか? それとも、おれたちをだしにして金をもうけるきか、博士さまになるきか ! !
     私は雷光に打たれたよりも激しい衝撃をうけ、ただあやまって調査をせずに帰ってきた。
    それいらい、アイヌ系の人びとにあうことが苦痛だし、フィールド・ワークを試みようともしない。
    こんな考え方は、フィールド・ワーカーとしては不適当で、もっと説得し、もっと執念をもって、苦しくてもあきらめてはいけないのかもしれない。 ところが、私にはそれができないのである。