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鳩沢佐美夫 (1970), pp.184,185
僕は、過去三年間、調査とまではいかないが、道南を中心にしたA湖畔、B温泉、Cアイヌ部落と足を運んでみた。
その結果ね、この現状では、やがて観光アイヌというものも和人に凌駕されてしまうな、という気を強くした。
なぜね、"人聞のオリ" などという奇妙な施設のある熊牧場に、アイヌ村が必要なのかね。
‥‥‥
それとA湖畔では、言語や動作に、明らかにアル中症状を現わしているような男が酋長格で控えていたり。
また、五十四、五歳の男が、観光団に何かを訊かれると空っとぼけていて、カメラを向けられると、チャッカリ、モデル代を要求する (Cアイヌ部落)──ね。
それと、漫談調で「俺の腕毛を一本十円で売ってやる」と、ガメツそうな年若い解説者もいたしね (Cアイヌ部落) ──。
僕のおふくろね、一度だけA湖畔の見世物小屋に駆り出されたことがあるんだ。
そのとき、一緒に行った人たちが "豊年踊り" とかいって奇妙な踊りを始めたそうだ。
怪訝に思ったおふくろはね、「どこにこのような踊りがあるんだ?」とたずねた。
ね、すると、「エバタイシサンアトヘマンタエラマンワ、オカンキロアキロ (馬鹿な和人たち、何かわかるものでもあるまいに、適当にやりゃいい) ──と、連れていってくれた、専業の人に言われたという──。
万事この調子じゃね、アイヌ模様の着物さえ着りゃ誰だっていいってことだ。
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同上, pp.187,188
で、そういったことでさ、この町 [平取町] 内のとある地区 [二風谷] がね、今、着々とそのアイヌ観光地として売り出そうとしているんだ。
なんかね、とうとう──来るべきところまで来たっていう感じなんだ。
昭和三十五年に、そのいわゆる "旧土人環境改善策" なるものを打ち出さなければならないんだ、という、不良環境のモデル地区、ね、写真入りで新聞に報道されたりした地域だ。──
最近では、公営住宅や、またそれぞれの努力などで、十年前の家庭はほとんど姿を消してしまった。
が、その生まれ変わったはずの聚落が、今度は俗悪なアイヌ部落の亜流化をくみとろうとしている!──。
なぜ、景勝や古蹟の乏しい山林に、こういった特殊施設を、アイヌ自ら、しかも今日の時点において作ろうとするのかね──。
そのことを彼たちに質すと、「アイヌがやらなければ、悪質なシャモ (和人) が勝手にアイヌの名をかたり、金儲けをするから」と言う。
「じゃ、そういう悪質シャモの排除にこそ努めるべきでないか?」ときくと、「われわれも、そのことで潤っている」──。
つまり、観光のおかげで部落もよくなり、業者からピアノも贈られた (小学校)。
何十万とかの寄付もあった──と、並ベたてられる。
「今それをやめろというのなら、じゃわれわれの生活をどう保障する」と逆襲さえしてくる始末。
そして、ね、これまで自分たちは観光業者に利用されて各観光地に立っていた。
だから、どうせやるんなら、そんな他所の土地で、シャモに利用されるんでなく、自分たちの部落でやったほうがいいのだ──という割切り方。
しかもだよ、ジョークなのか、アレゴリーなのか、昔はアイヌといって、われわれはバカにされた。
今度はひとつ、われわれアイヌを見にくるシャモどもをふんだまかして、うんと金をまきあげてやる。
「なあに、適当なことをやって見せれば、喜んで金を置いていくからな」‥‥‥。
ね、ドライというか、くそくらえバイタリティというか、とにかく、見上げたショーマンイズム──。
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同上, pp.189,190
少しは地域を歩き、一般住民の声にも耳を傾けるべきだ。
○ 昔はのう、わしらが働いとるとき、アイヌさんはよう焼酎壜を枕に、道路に寝とったもんだ。
それがのう、今では踊って暮せるちゅうから、ええもんじゃ──。
(七十二歳・農業)
○ 教室の中では、差別的な教育は一切していない。
それなのに、教室から一歩外に出ると、もう口も開けないような雰囲気を何故に作るんだ──。
(三十九歳・教員)。
○ 果して、真のアイヌ文化なり、民族なりというものを、理解してもらうためにやっているのか、どうかという疑問にぶつかる。
そもそもああいうあたりからも、問題点が出てくるような気がする。
アイヌだとか、和人だとかいうことなしに、お互いに生きようと努力している。
それだけに、アイヌという人たちにも考えてもらいたいと思う。
(三十五歳・農業)
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同上, p.190
某地にある資料館に行って一日立って見るといいい。
はたしてね、あのおびただしい観光団のうち何%があの展示物に目を留めるか──だ。
バカなシャモどもをふんだまかす、などといっていて、ここ五年や十年は、アイヌという貧相さを売物にした形の何か真似事はできるだろう。
まだ、明治時代の人々も生き残っているから‥‥。
でも、そこから先ね、「アイヌ語もわかりません」などと言っていて、どう観光というもののうえに、真のアイヌを描こうとするのか──。
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同上, p.207
<とにかく、全道のアイヌと熊、このイメージ化は、あまりにもひどすぎる。
温泉地へ行ってもアイヌ──。
湖水を訪れてもアイヌ、ね。
はなはだしいのは、一ホテル (G地) の前にもアイヌ小屋だ。
そういう所へ、「何もわからなくてもいい。ただ坐っていりゃいいんだ──」と、アイヌたちが募集されて行く──。
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引用文献
- 鳩沢佐美夫 (1970) :「対談・アイヌ」,『日高文芸』, 第6号, 1970.
『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995. pp.153-215.
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