「アイヌ文化の継承」は,あり得ない。
「継承」は,「親から子へ」である。
「アイヌ文化」は,先祖の領分である。
「先祖から子孫へ」の「継承」など,ない。
このときの「親と子」と「先祖と子孫」の違いは,「文化の連続」と「文化の断絶」である。
断絶している先祖の文化に対して子孫ができることは,「遺物の発掘」である。
これは,考古学者になるということである。
先祖のようになるということではない。
「アイヌ文化の継承」は,成立しない。
「アイヌ文化の継承」をパフォーマンスする者は,「アイヌ文化の継承」を騙る者である。
「アイヌ文化の継承」を騙る者は,自分が「アイヌ文化の継承」を騙っていることを承知している。
彼らは,生業として,「アイヌ文化の継承」をパフォーマンスする。
彼らは,「アイヌ文化の継承」を騙ることを,「生業」で合理化している者たちである。
文学"アイヌ" の鳩沢佐美夫は,「アイヌ」に対する潔癖性から,《生業のために「アイヌ」を騙る》を許さなかった者である。
以下,彼の言を,『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』(草風館, 1995) に所収の「対談・アイヌ」(1970) から引く。
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p.168
ところで、空飛ぶ円盤って、どう思うかな?
昭和 39年頃からこの町 [平取町] に施設 [ハヨピラ] ができているが‥‥‥。
‥‥‥
p.173
どうしょうもないんだ。
いくらね、アイヌの神を侮蔑した、根拠がないんだ、と叫んでみても、あれだけ多勢のアイヌが参加していてはね、‥‥‥
しかもいい、そのどうしょうもない状態がね、年々エスカレートしていく。
p.174
あれ以来、いろいろなアイヌ人に訴えかけたし、また訴えかけようとする。
この町には立派なアイヌ系の人が多くいるからね。
ところが誰一人としてそれを問題視しようとはしない。
かえって、逆に「お前の考えは頑なだ」と嘲笑される。
「いいではないか、年に一度のお祭だし、向うで金はくれるし、飲ませてくれるし、食わせてくれる──」
‥‥‥
今年あたりはね、祭典余興として熊祭までも挙行している。
しかもだ、円盤関係者と地元ウタリー協会が主催。
町と町観光協会が共催。
協賛が、航空会社から化粧、飲料品など各一流のメーカーとくれば、どこに個人の異論を挟む余地がありますね。
p.175
金を貰って、飲ませてくれて、食わせてくれる。
ね、そのうえ熊祭をさせてもらえる。
蛮性アイヌの利用価値だ!──。
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pp.170
★ 私たちの職場に、アイヌ語や唄を教えに来ているんだ、ときどき──。
あのお婆ちゃんは、十八歳になるまで日本語もしゃべれなかった、って一言っていたよ。
☆ え!? ──
★ 違うの?
p.176
☆ 先ほど、あんたが名指したお婆ちゃん、歌を教えてくれたとか‥‥‥。
今、T市のある病院で身寄りのないような状態で寝たきりなんだ。
このお婆ちゃん、ユーカラ伝誦者としては第一人者だと言われている。
確かにそれだけの価値はあるだろう。
昨年 (昭和四十四年) は、道の文化賞かなんか貰ったようだ。
pp.183,184
☆で、その観光ということで、また、あの入院しているユーカラ伝誦のお婆ちゃんの話に戻るが、この管内で観光に依存している人は,多く見積もっても 8074名いるというアイヌ全体のうち,1%もいればせいぜいだと思う。
全道にしたって、実際のアイヌは、二、三百人ぐらいだろう。
つまり、あのお婆ちゃんも、病院暮しをする前は、そのうちの一人だった。
このお婆ちゃんは、確かに頭はいいし、色白で美人、そのうえ美声の持主というスターになる要素を多分に持ち合わせている。
それだけに、病院にはいってからも、アイヌ研究者がひきもきらずに訪れたりする。
ね、けれども、さっき、18歳まで日本語もしゃべれなかった、などと、だんだん本質的なものを失ってしまっているんだ。
いくらか名が知れ渡ると、とにかくいろんな者が訪れてくる。
アイヌ語、あるいは風俗、あるいは歴史、ね、そういった人たちから、同じような質問を、尋問的な形で受ける──。
するとアイヌ文化は伝承文化だから、語り継がれる、すなわち、純粋な知識の吸収もなく、今日的な時限で自分だけの記憶の糸をたぐり寄せる。
というあたりから、フィクションが多分に加味されるわけだ。
と言うのもね、僕の家の近くに、このお婆ちゃんよりお年が上の、つまり、さっきXXX先生が来たとき、もう一人の老婆がくるったろう。
まったく観光ずれのしていないお婆さんがいる。
そのお婆さんに、ユーカラ伝誦の第一人者というお婆ちゃんのユーカラを聞かすと、?‥‥‥と、首をかしげる。
そのXXX先生と三人で話をしていたのを耳にしたが、やっぱり、素朴なままの山の中に住んでいるお婆さんのほうが、いろいろな面でアイヌ文化の純粋さを持っているようだった。
ね、でも、それを僕は全面的に否定しようというのではない。──
あのお婆ちゃんが生まれたのは明治二十七年だという。
ところが、明治三十六年に、あのお婆ちゃんの生まれたH部落に、アイヌを対象とした四年課程の<土人特殊学校>が建っているんだ。
だからね、お婆ちゃんも当然にひらがなだけは読めるし書けるわけだ。
日本語どころじゃなくね──。
‥‥‥
でもさ、あのお婆ちゃんも、よくあの施設 [ハヨピラ] に招かれていたし、ま、いろいろ人に訊ねられたりすると、つい関連付けちまうようになるんじゃないかな。
と言うことは、先にも言ったが、昔話を語り伝えるお年寄りがまったくいなくなった現状だろう。
そこで観光と結び付いた形の伝承とくれば、このお婆ちゃんにかぎらず、観光というものは、相手にとっちゃ、いわば商品だからね、その商品価値を、相手に迎合されるような形に誇大しちまうんだ。
それがいわゆる、観光アイヌであり、アイヌということを口にする、現代アイヌの状態であるということ──。
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pp.184,185
僕のおふくろね、一度だけA湖畔の見世物小屋に駆り出されたことがあるんだ。
そのとき、一緒に行った人たちが "豊年踊り" とかいって奇妙な踊りを始めたそうだ。
怪訝に思ったおふくろはね、「どこにこのような踊りがあるんだ?」とたずねた。
ね、すると、「エバタイシサンアトヘマンタエラマンワ、オカンキロアキロ (馬鹿な和人たち、何かわかるものでもあるまいに、適当にやりゃいい) ──と、連れていってくれた、専業の人に言われたという──。
万事この調子じゃね、アイヌ模様の着物さえ着りゃ誰だっていいってことだ。
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pp.187,188
で、そういったことでさ、この町 [平取町] 内のとある地区 [二風谷] がね、今、着々とそのアイヌ観光地として売り出そうとしているんだ。
なんかね、とうとう──来るべきところまで来たっていう感じなんだ。
昭和三十五年に、そのいわゆる "旧土人環境改善策" なるものを打ち出さなければならないんだ、という、不良環境のモデル地区、ね、写真入りで新聞に報道されたりした地域だ。──
最近では、公営住宅や、またそれぞれの努力などで、十年前の家庭はほとんど姿を消してしまった。
が、その生まれ変わったはずの聚落が、今度は俗悪なアイヌ部落の亜流化をくみとろうとしている!──。
なぜ、景勝や古蹟の乏しい山林に、こういった特殊施設を、アイヌ自ら、しかも今日の時点において作ろうとするのかね──。
そのことを彼たちに質すと、「アイヌがやらなければ、悪質なシャモ (和人) が勝手にアイヌの名をかたり、金儲けをするから」と言う。
「じゃ、そういう悪質シャモの排除にこそ努めるべきでないか?」ときくと、「われわれも、そのことで潤っている」──。
つまり、観光のおかげで部落もよくなり、業者からピアノも贈られた (小学校)。
何十万とかの寄付もあった──と、並ベたてられる。
「今それをやめろというのなら、じゃわれわれの生活をどう保障する」と逆襲さえしてくる始末。
そして、ね、これまで自分たちは観光業者に利用されて各観光地に立っていた。
だから、どうせやるんなら、そんな他所の土地で、シャモに利用されるんでなく、自分たちの部落でやったほうがいいのだ──という割切り方。
しかもだよ、ジョークなのか、アレゴリーなのか、昔はアイヌといって、われわれはバカにされた。
今度はひとつ、われわれアイヌを見にくるシャモどもをふんだまかして、うんと金をまきあげてやる。
「なあに、適当なことをやって見せれば、喜んで金を置いていくからな」‥‥‥。
ね、ドライというか、くそくらえバイタリティというか、とにかく、見上げたショーマンイズム──。
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p.190
某地にある資料館に行って一日立って見るといいい。
はたしてね、あのおびただしい観光団のうち何%があの展示物に目を留めるか──だ。
バカなシャモどもをふんだまかす、などといっていて、ここ五年や十年は、アイヌという貧相さを売物にした形の何か真似事はできるだろう。
まだ、明治時代の人々も生き残っているから‥‥。
でも、そこから先ね、「アイヌ語もわかりません」などと言っていて、どう観光というもののうえに、真のアイヌを描こうとするのか──。
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p.204
そもそもだよ、アイヌというものの存在は、観光においてなのか、民族においてなのか。
現在のウタリー協会の在り方では、そのいずれもが不明確だ。
もし観光においてだとしたら、一部の人々に利する形の活動要求になる。
民族の名においての国有林野の払下げだ、とすると、南アフリカの悪評高いアパルトへイトという人種隔離政策を、アイヌたちは自ら求めるという結果になる。
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p.207
とにかく、全道のアイヌと熊、このイメージ化は、あまりにもひどすぎる。
温泉地へ行ってもアイヌ──。
湖水を訪れてもアイヌ、ね。
はなはだしいのは、一ホテル (G地) の前にもアイヌ小屋だ。
そういう所へ、「何もわからなくてもいい。ただ坐っていりゃいいんだ──」と、アイヌたちが募集されて行く──。
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