Up | 「アイヌ文化の継承」ワーク : 要旨 | 作成: 2016-12-07 更新: 2017-01-03 |
「アイヌ文化の継承」"アイヌ\” は,観光"アイヌ" がお里である。 「アイヌ観光」業は,「アイヌ」ショー,「アイヌ文化」ショーを,本物に装う。 実際,「本物のアイヌ,本物のアイヌ文化」ということにしないと,「アイヌ観光」は成り立たない。 アイヌはもう百年以上むかしに終焉したものであるから,「本物のアイヌ,本物のアイヌ文化」を装うのは,詐欺である。 「アイヌ観光」業は,確信犯的に,詐欺をやる。 「アイヌ文化の継承」は,この「アイヌ観光」である。 「アイヌ文化の継承」は,「本物のアイヌ,本物のアイヌ文化」を装う。 したがって,詐欺である。 しかし,「アイヌ観光」と称するのと「アイヌ文化の継承」と称するのとでは,「詐欺」の意味の重みが違ってくる。 アイヌ観光は,「詐欺」のことばを向ける先ではない。 アイヌ観光のショーに対し,客がこれを「アイヌ文化の現前」だと間違って受け取っても,それは客に教養がないというだけの話である。 ショーは,ショーとして楽しめばよい。 「まりも祭り」にしても,みやげ店の「アイヌ民芸品」にしても,ただ楽しめばよいものである。 それは,娯楽である。 ここは,めんどうくさいことを言うところではない。 一方,「アイヌ文化の継承」は,「詐欺」のことばを厳しく向けるものになる。 「アイヌ文化の継承」を称えるとき,それは学術である。 学術は,いんちきを本物と偽ることはできない。 いんちきを本物と偽ることは,学術の場合,シャレにならない。 「アイヌ」企画は,つぎの3通りになる: 「アイヌ観光」は,見世物である。 「アイヌ文化の継承」は,詐欺である。 「アイヌ文化講座・教室」がまっとうを目指す形は,探求 (科学) である。 「アイヌ文化の継承」のスローガンは,「アイヌ文化の探求」に替わらねばならない。 「アイヌ文化講座・教室」の講師と聴講生の違いは,アイヌ文化についての勉強量の違いである──これだけである。 学校教育では,「実施指導講師」の考え方がある。 「現場のことは現場の者に語ってもらうのがよい」というわけで,現場の者を講師に採用する。 「アイヌ文化講座・教室」の問題点は,受講生が講師を「実施指導講師」と受け取り,そして講師が同じ勘違いをしている (あるいは受講生の勘違いを知っててこれを利用している),ということである。 アイヌは,百年以上もむかしに終わっている。 「アイヌ文化講座・教室」では,「実施指導講師」は成立しない。 「縄文文化講座・教室」で「実施指導講師」が成立しないのと同様である。 聴講生が「講師はアイヌだからこの講座・教室は信用できる」と思う者であるとき,講師はこの勘違いを正す者でなければならない。 正さないでアイヌのふりをすれば,それは詐欺行為である。 |