Up アイヌ料理は,鍋で煮込む 作成: 2019-01-28
更新: 2020-02-07


    アイヌの調理法は,<鍋で煮込む>である。

      最上徳内 (1791), p.31
    蝦夷土人(すべ)て、食する盤を用いず只椀一つを用い、汁菜をも食せず、
    味噌、塩も無ければ、魚肉獣肉に或は草根などを(まぶ)し、水煮にして食す。
    (まれ)に潮水を以て塩梅(あんばい)するもあり。
    食物多く有ときは終日終夜無数に食す、又食物なき時は二、三日も食せざれども敢て憂うることなし。

      串原正峯 (1793), p.496
    右獲たる所の魚を海水を以て煮て食す。
    貯置には干魚となして圍ひ置なり。
    秋より冬は海上荒て漁獵なりがたき故、夏中飯糧になす草を取て貯置なり。
    取たる時直にも食す。
    これも汐水にて煮て食するなり。
    右草飯糧に貯ゆるには、能干て臼にて搗はたきて、糟をはかためて餅となし、粉をば水干して葛のことく製し貯置なり。
    食するには是を丸め、魚油にて煮て食す。
    又は湯煮にしても喰ふ事なり。

      Siebold (1881), p.85
     アイヌは、一種のスープを主食としており、鹿や熊やほかの野獣の干した肉か、もしくは、その新鮮な肉をいろいろな野菜や根菜といっしょに茹でて、スープを作るのである。
    このスープは、一日二回、すなわち朝と晩に食べる。

      Batchelor (1901), pp.182-186
     アイヌの食べ物は、どんな場合にもヨーロッパ人が好むものでないが、ちゃんと調理されれば、危急(ピンチ)の場合には歓迎されなくはない。 たとえば新鮮なサケ、タラ、シカの肉、クマの肉、豆、アワ、ジャガイモ、エンドウ豆は、正しい仕方で料理されると、それ自体はすべておいしい。
    しかしアイヌは料理の仕方を知らない。
    彼らは、よく乾燥してない魚で強い味つけをしたシチューが大好きだ。
    ほとんどあらゆる種類の食べ物はシチュー鍋に投げ込まれ、少なくともわれわれの味覚によると、そこで完全に台なしにされる。
     ‥‥‥
    食べ物を皿に盛ることはない。
    主婦はシチュー鍋が火の上にぶらさがっているときに、鍋から食べ物をすくい、目指す人にそれを渡す。
    この利点の一つは、夕食を真に温かくさせることである。
     ‥‥‥
    アイヌは食べ物の扱いが清潔だとほめることはできない。
    彼らは深い鍋か平たい鍋をめったに洗わない。
    まして自分の食器を洗わない。
    それゆえ、人差し指は、アイヌ語では、イタンギ・ケム・アシキペッ itangi kem ashikipet、すなわち、「お腕をなめる指」[イタンギ、イダンキ=お椀、ケム=なめる、アシキベッ=指] と言うことを述べる価値がある。
    それがそうよばれるのは、人々は一般にまず食器の内側を人差し指で拭い、それから人差し指をなめて、食器をきれいにするからである。

      高倉新一郎 (1974 ), p.42
    料理法も肉・野菜・穀物などを混ぜて煮たものが普通であった。
    特徴といえばこれに油を加えたことで、油は多くくじら・あざらし・まんぼうなどからとり、皮袋に入れてたくわえてあった。


    生活は,コストとパフォーマンスのトレードオフである。
    鍋で煮込むのは,これがアイヌにとっての「コストとパフォーマンスのトレードオフ」の解となる料理法だからである。

    また,食材は保存食材がメインである。
    保存食材は,乾燥して硬い。
    これを食べやすくする料理法は,鍋で煮込むである。

    また鍋で煮込むのは,「寄生虫病対策」という意味からも合理的な調理法になっている。
    現代人はコンクリートの上に生活しているのでわからないが,自然は吸虫・条虫・線虫の類の経口摂取によって感染する寄生虫でいっぱいであり,そしてその中には,感染症が重篤な,危険なものもいる。
    そこで,食べ物には火をいれることが必須になる。

     註: 「寄生虫病対策」の合理性は,進化論の謂う「自然選択」で説明される。
    寄生虫病の知識を持っていたのでこの調理法になった,というのではない

    つぎは,象皮病 (糸状虫感染症) に罹ったアイヌを記述したものである:
      Landor (1893), pp.143,144
    Shari Mombets is a miserable place.
    In the house where I put up I was received by a young man, but the owner of the house did not show himself.
    The next morning, however, as I gave much more money than they expected, the landlord was brought to my room to thank me.
    The poor man suffered from elephantiasis─the wretched disease by which the head and all the limbs of the body assume gigantic proportions.
    His head was swollen to more than twice its normal size, and had lost its shape; his body was piteously deformed and inflated, his eyes nearly buried in flesh.
    The weight of his head was such that the cervical vertebrae were scarcely strong enough to support it erect; and when he bowed down in Japanese fashion to thank me and bid me good-bye, I had to run to his help, for he could not get up again.
    Poor man!
    And when we reflect that in more civilised countries many people think themselves very ill and suffering when they have a pimple on their nose, or a cold in their head!



    引用文献
    • 最上徳内 (1791) :『蝦夷風俗人情之沙汰』(『蝦夷草紙』)
      • 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.19-115.
    • 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
    • Siebold (1881) : 原田信男他[訳注]『小シーボルト蝦夷見聞記』(東洋文庫597), 平凡社, 1996
    • Batchelor, John (1901) : The Ainu and Their Folk-Lore.
      • 安田一郎訳, 『アイヌの伝承と民俗』, 青土社, 1995
    • 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
    • Landor, A. H. Savage, (1893) : Alone with the hairy Ainu : or, 3800 miles on a pack saddle in Yezo and a cruise to the Kurile islands. London : John Murray. 1893.