Up アイヌ語は,アイヌの生活と相即不離 作成: 2017-01-09
更新: 2017-01-09


    「アイヌ語教育」を唱える者には,きちんと「ふざけるな」「子どもをダシにするな」を言ってやらねばならない。
    彼らは,きちんと注意されたことがないから,図に乗ったままになるのである。
    一般アイヌ系統者をダシにし,つぎは子どもをダシにしようとする。
    彼らは,「否」の声が上がるおそれのない者たちを,つぎつぎとダシにしていくのである。

    「アイヌ語教育」を唱える者には,2通りある。
    確信犯的に唱えている者と,無邪気に唱えている者の,2通りである。
    利権"アイヌ"は,前者である。
    「アイヌ語教育」など成るものでないことは,己を見てわかるからである。
    後者はというと,贖罪"シャモ" がこれになる。
    アイヌ語が継承されている」「アイヌ語の継承は政治で成るものだ」と無邪気に思う者たちだからである。


    「アイヌ語」を考えられることは,《アイヌ語がどこでどう使えるものになるのか》を考えられることである。
    「アイヌ語教育」を無邪気に唱える者は,《アイヌ語がどこでどう使えるものになるのか》の問いを持たない/知らない者である。せいぜいよくて,この問いに思考停止している者である。

    Wikipedia で「アイヌ語」を引くと,つぎの説明がある:
     
    アイヌ語(アイヌご、アイヌ語ラテン文字表記:Aynu itak、アイヌ語仮名表記:アイヌ・イタㇰ)は、現在、北海道島や本州島北東地域やロシア極東地域等に居住するアイヌ民族(アイヌ)の言語である。
    話者は、アイヌ民族の主たる居住地域である北海道、樺太、千島列島に分布していたが、現在ではアイヌの移住に伴い日本の他の地方(主に首都圏)にも拡散している。言語学では「孤立した言語」である。国際連合教育科学文化機関によって、2009年2月に「極めて深刻な消滅の危機にあると分類された、危機に瀕する言語である。危険な状況にある日本の8言語のうち唯一最悪の「極めて深刻」に分類された。

    そこで,「アイヌ語教育」を唱える者たちに,「さあ,これをアイヌ語にしてみろ」と言ってやるのである。
    彼らは,これをアイヌ語にすることは,できない。
    彼らはもとよりアイヌ語を知る者ではないが,これが理由ではない。
    この文は,原理的に,アイヌ語にはならないのである。

    上の日本語文は,外来語および造語がほとんどを占める。
    この外来語・造語が日本語として定着するのには,長い時間を要している。
    また,この日本文は,構文を所謂「古典論理学」に乗せている。
    「古典論理学」は,古代ギリシャや中国出自の論理学が時間の流れの中で練られて,この形になったものである。

    アイヌ語は,この歴史とは無縁の言語である。
    よって,日本語で論じていることをアイヌ語で論じることは,できない。
    これは,いまの生活の中にアイヌ語の所在は無い,ということである。
    実際,アイヌ語は,アイヌの生活の中でしか言語にならない


    「アイヌ語の授業」がつぎの調子で始まる:
      「 アイヌ語で「こんにちは」を「イランカラプテ」といいます。
    さあ一緒に言ってみましょう。
    誰が「「こんにちは」は「irankarapte」だ」を言い出したのか定かでないが,知里真志保の最も嫌悪するタイプの「アイヌを知らない者がやるインチキ」である。

    そもそも,英語の授業だとふつうに出てくる「日本語の「○○」は英語では「△△」」(「○○」は単語) も,アイヌ語では成り立たない。
    日本語 (英語) とアイヌ語は,カテゴリーのつくり方がまったく違っているからである。
    「木」はアイヌ語では△△」」「「川」はアイヌ語では△△」」などアタリマエに言えそうに思えるが,言えないのである。