|
菅原幸助「観光アイヌ」
菅原幸助『現代のアイヌ』, 現文社, 1966. pp.78-88.
pp.78-82
札幌から支勿湖を回って登別温泉に向かう観光パスは、火山灰の道にもうもうと砂煙をまきあげながら走った。うっとりと車窓を眺めるお客さんは、バスガイドの美声に耳をすませている。
‥‥‥
流暢なパスガールの説明が、アイヌのくだりをはじめると、観光客は牧歌的で詩情ゆたかな "ガイド用" のアイヌ物語に好奇心をそそるのである。
春から秋にかけて、北海道の観光客は毎年うなぎのぼりにふえている。空の旅も快適になった。
東京羽田空港から一時間ほどで千歳空港に着いてしまう。北海道の山と湖、クマとアイヌが大切な観光資源だ。
観光地には見せ物のために観光コタンと呼ぶアイヌの村落がつくられている。
登別温泉に近い白老町の観光コタンも、見せ物アイヌで有名になった。
私は六月のある日、観光客にまじって、"アイヌコタン" の見物にでかけた。
町はずれの国道に何十台も観光パスが列をつくって止まっていた。道から二十メートルほどのところにある観光コタンには、修学旅行の女子学生や、本州からの旅行団体の人々がごったがえしていて、お祭りのようなにぎやかさだ。
ベニヤ板でにわかづくりのおみやげの店の前で、若者が腕をまくしあげ、クマ彫りの実演をやっている。
これをとりまいている黒山のひとだかりのなかで、腕章をかけ小旗を手にしているのが旅行団の案内人だ。
近くの広場では、アッシ (アイヌの着物) を着たエカシ(長老) やバッコ(老婆) がモデルになり、大勢のお客さんと記念撮影をやっている。
ひとびとの間をかきわけるように、メノコ(娘) たちが「クロユリの球根はいりませんか」「エゾマツ、トドマツの苗木はいかが」「スズランの苗をおみやげに」などとふれながら、忙しそうにお客の間を歩き回っている。
おみやげの店の前には、生まれて二カ月ぐらいの小グマが、鉄のクサリにつながれていて、店の前をいったりきたりしていた。
すぐそばでリンゴ箱に坐って、ひなたぼっこをしていた老婆に、腕章をかけた旅行案内者が近寄って行った。
金を包んだ紙包みを渡し,なにか話していたが、口にいれずみをしたその老婆が、にっこり笑って頭をたてにふると、わらぶき屋根のチセ(家) の窓から中に声をかけた。
「みんなでできてよ。ウポポ (アイヌ踊り) をやれとよ」
原色のアイヌ模様のキモノを着て、口にいれずみを墨で書いた女たちが、けだるそうにチセからでてきた。
やがて老婆が先頭になってウポポがはじまった。
ホーイ ホーイ ポロロロ ポロロロ
鳥の声に似た、京愁に満ちた歌と仕草がくりかえされ、女たちは輪になって青空を眺めながら、足や手を動かしている。
旅行者たちが手にしていたパンフレットには「アイヌ民族に伝わる神秘な踊りを見学」とあったが、ウポポの原形はやつされていて、かなりでたらめな踊りになっていた。
けれども,輪になってウポポを見物している観光客に、そんなことが解るはずもない。
この異様な歌声と踊りを見物しているうちに「はるばると海を渡って、北海道まできたのだ」という異国情緒にひたるのかも知れない。
私が親しくしているアイヌの老人がひとり、この白老観光コタンで写真のモデルをやっている。
むかしはクマ射ちの名手だったが、二人の息子が戦死、生活に追われて見せ物になったエカシ(長老)である。
‥‥‥
エカシの話では、クマ彫り職人も実演をやる看板男だけアイヌを雇って、本当のクマを彫っているのはみんなシャモの職人、そのシャモのクマ彫り職人は店の奥の仕事場で木工機械を使ってクマ彫りの大量生産をやっている。
クロユリの球根を売って歩いているメノコたちも、シャモの娘が顔をメノコのようにつくろっているのだ。
本物のアイヌは観光コタンをきらって逃げだし、シャモがアイヌに化け、本州のシャモから、がめつい金もうけをやっているという。
|
|
|