Up 同化アイヌ 作成: 2018-12-04
更新: 2019-01-02


      高倉新一郎 (1959 ), pp.179,180
    天明五〜六 [1785-1786] 年幕吏の旅行記によれば、
    熊石についで関内(セキナイ)臼別(ウスベチ)辺までは錬取りが男女共多く入り込んで永住の形をなしているが、 瀬田内から島小牧はかけてはほんの出稼場所で、仮小屋こそ多いが、漁期が過ぎると空家となる所だった。
    しかし瀬田内では
     「此辺夷人、和語甚精敷通申候。
      蝦夷人之内に夷言不通者有之。
      運上屋通辞ニ蝦夷言相習候」
    という有様になっていた。


    引用文献
    • 高倉新一郎 (1959 ) : 『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959