Up 乱獲 作成: 2019-01-01
更新: 2019-01-01


      高倉新一郎 (1959 ), p.168
    [運上金は高騰化し,そして] 請負人はこうした正規の運上金の外に藩からは御用金や立替金を命ぜられ、幕府になると、種々の臨時費用が増運上金の形で課せられた。
    これらのものを契約期間中に回収せねばならぬとすれば、勢い出来る限り義務を怠り、時に施設を荒廃させ、さらに収益を挙げるためには資源の枯渇をも省みなくなるのは当然であった。

      同上, pp.169,170
    根室場所西別(ニシベツ)川は、天明五年 [1785] 頃、幕吏最上徳内が行った時、一網に二千疋近くもかかったという鮭漁場 ‥‥
    鮭が段々不足になって、品揃えをするのが困難になったため、
    従来禁止されていた止網 (テシといい、川一杯に網を張り切って、遡って来る鮭を採ってしまうしかけ) を使用するに至った。
    ために鮭の遡上がすくなくなり、これをもって生活する川上の蝦夷の生活を脅かすに至った。
    元来、川口の、大網でなければとれない個所は、大網を持った和人がそれで鮭をとったが、川上の鮭は一切蝦夷のもので、蝦夷はこれで飯料を得ていたのであった。
    したがって止網は禁止されていたのである。
    ‥‥‥ この川上はクスリ蝦夷の出稼場であったため、抗議が出、クスリの蝦夷を介抱する義務のある釧路場所請負人が後援して、一大論争を展開するに至った。
    同じことは、アツケシ蝦夷の出稼場である根室場所のフウレン・ベトカニ川をめぐって、根室場所と厚岸場所との間にも起った。


    引用文献
    • 高倉新一郎 (1959 ) : 『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959