Up アイヌ就労者供出の役を,役土人が務める 作成: 2018-12-28
更新: 2018-12-28


    場所での人使いが「虐使」であるならば,なぜ場所はアイヌ就労者を確保できるのか?

    ひとの嫌がる仕事は,募集の方法では就労者を得られない。
    ひとの嫌がる仕事は,<強制>の方法で人を集めるのみである。

    場所の人集めは,役土人にアイヌ就労者の供出を頼むという方法で行う。
    これにより,<強制>が成る。


    一般に,<強制>を実現する方法は,《中間職の階層の上から下へ<部下にノルマを課す>を降ろす》である。

    部下は,上司の板挟みの境遇を慮ばかる。
    そして上司からの頼みに対し「一肌脱ごう」となる。
    これが順々に下まで降りていく。
    かくして,<強制>が成る。


    <強制>は,悪者の所業ではない。
    <強制>のシステムの中に,悪者の存在は必要ない。
    <強制>は,善人ばかりでも成る。
    それどころか,みなが善人でなければ<強制>は成らない。

    上司と部下は,親密な人間関係をつくることになる。
    したがって,相手の頼みを無下にすることはできない。
    この関係性が,<強制>システムに転じるのである。


    場所請負人と (総乙名を筆頭とする) 役土人の関係は,《相手の頼みを無下にすることはできない》である。
    役土人 (総乙名・総小使・脇乙名・乙名・小使) の間の上司・部下関係も,これである。
    そして,小使アイヌと配下のアイヌの関係も,もちろんこれである。

    ちなみに,オムシャは,場所請負人と役土人の《相手の頼みを無下にすることはできない》関係の構築・強化に効いている。

      吉田常吉 (1962), pp.15,16
    蝦夷の部落には各酋長があって部落民を統率していたが、
    松前氏の統治時代に、蝦夷に対しては従来の貢納・交易関係を存続し、彼ら自身の支配関係をそのまま利用して、酋長を村役人的なものに任命した。
    すなわち酋長を乙名と呼び、その下に小使などを置いて輔佐させた。
    一場所に数部落ある場合には、総乙名・総小使・脇乙名を置いて全部を統轄させた。
    小使は、和人の下知に従って蝦夷を奉仕のために呼び集め、所定の労働に従事させる役で、副酋長というよりは全くの場所役人の下役のごときもので、場所役人によって任命された役であった。
    寛政四年(1792) の『夷諺俗語』に「小使とは組頑といふ心にて、夷の内働者のする事なり」と見えている。
    乙名・小使はヲムシヤ (蝦夷地に赴いている和人が、一年に一回、関係のある範囲の蝦夷全員を招き、酒食を与え、賜物する儀式) の節に特別の待遇を受け、米・酒・煙草などの土産物を貰った。


    引用文献
    • 吉田常吉 (1962) :
        吉田常吉[編], 松浦武四郎『新版 蝦夷日誌(上), 時事通信社, 1962