Up アイヌ陳述の和人討殺理由 作成: 2016-11-19
更新: 2018-12-09


      新井田孫三郎 (1789), pp.707-709
    めなし夷共申口
    一、めなし領 しへつ と申所にて 粕〆稼方相始り候てより 粕〆割合の手宛(など)と申儀は 一向無之、
    其上 粕〆稼中の雇代と申候て 長人達は米壹俵にたばこ壹把、ウタレは多葉粉半把に間切壹丁にて 日々運上屋え引寄召使われ候事故、
    自分働と申候ては 一向難成候得ば、荷物無之、(より)て御土産等も頂戴難成、
    勿論去年中より鮭粕〆相始り候得ば 冬中喰物も不足に相成候事故、
    妻子相續も難致仕合、甚難澁仕候。
    殊にシトノヱと申夷のめのこ 粕〆働様不宜侯(とても) 稼方の者薪を持強く打たゝき候得ば、病氣に相成、間もなく相果申候。
    一、同所シリウと申蝦夷の女房、妾兩人共に 同所稼方の者共 致密夫居候事故、
    甚心外に存、少も彼是申出候得ば 却て非分の申掛に逢、遂にツクナイ沙汰といたし候事故、募て申出儀いたし兼居候。
    一、同所稼方の者共申候には、銘々自由に不相成不働いたし候節は 男女に不限 夷共不残 當年は粕と共に〆殺可申由、粕〆に用候薪取の夷どもに 右稼方の者共咄し申候。
    一、同所稼方の者共申候には、當年より夷共を不残殺べく由申候て、犬を縄にて縛り川え入沈殺申候。
    此儀 夷ども推量仕候には、定てシャモ人数多の夷どもを鑄殺ベき事に奉存候。
    一、めなし領 ちうるい と申所にて 稼方の者共 去夏より大釜を三所え建候て、男夷女夷子夷を三段に分置 右釜にて粕と共に煮可殺由申居候。
    然處其後何の子細も無之に 子供を背負侯めのこ壹人 稼方の者ども捕押、右の釜え引入 粕と共に煮殺可申様相見得候故、大勢蝦夷参候て漸々助帰り申候。
    一、去年夏中 同所酋長達 ケウトモヒシヶ、ウタレメカタ と申夷、同所番屋より薪取に申付遣候處、其夜草臥候由にて臥居候得ば、稼方の者共 無理に薬を呑せ候て 其儘殺申候。
    其後庄攻郎と申者 赤鍋へ何角怪敷酒を入致持参 長人ホロヱメキに呉候得共、甚無(元)存候故 毒味いたし侯は(元)(ば)呑可申由 申候得共、庄次郎一向返答不申候故、右の酒を執捨申候。
    定て右の酒呑候はゝ其儘相果可申と存居候。
    一、同所ケウトモヒシケ女房、妾兩人共に 妾は しへつ と申所に差置申候。
    稼方の者共 致密夫候故 蝦夷振のツクナイ申出候得ば 却て理不盡に打たゝき候て右の挨拶一向不致候。
    一、同所長人ホロヱメキ 毎々より寶と致置候鍋貳つ 稼方の者とも見申度由に付 遺候處、取落し打割候と申て返し不申候。
    仍て右代物請取度旨申遣候得共 却て非分の申掛いたし、ツクナイの沙汰といたし候事故、募て申出兼候。
    一、同領 うゑんべつ サンヒルと申夷の女房幷ウタレ女房兩人を たつかるうし(立苅臼) 稼方の者共 致密夫居候事故、右兩入のめのこを呼寄せ得と致僉議候處、理不盡に密夫いたし候事相違無之により、右稼方の者共へ参段々ツクナイ申出候得ば、
    決て密夫不申由にて甚立腹いたし、サンヒル髭を抓引寄せ、間切にて髭を切んといたし候事故、無據ツクナイを差遣漸々逃帰り申候處、又候右のめのこを引寄 致密夫居候。
    一、同所うゑんへつ稼方の者共 さけむひと 申所のヒシヨイチヤ女房イマニと申めのこ 致密夫居候事故、度々ツクナイの儀申遣候得共 却て兎哉角(とやかく)非分の申掛候間、うゑんへつより右のめのこを呼寄せ 段々相尋候處、稼方の者共、土蔵を(こしらえ) 底え針を夥敷建並 其上え板を釣置侯て、扨 のつかまふ と申處より うらやすへつ と申所迄 長人達を敷多呼集、右土蔵にて酒盛いたし、大半酔たる節 釣板をきり落し不残殺可申由咄申候。
    然る時は 右のイマニと申めのこを 女房同様に 小袖を着せ取扱可致旨 女房イマニ方より承申候。
    右申上候趣 少も相違無御座候。
    之 不止事 数多申合仕、シャモ人を討殺申候。
    御尋に御座候間 少も無包申上候。

      同上, pp.709,710
    くなしり蝦夷共申口
    一、くなしり せゝき と申所の支配人左兵衛儀はウテクンテと申夷のめのこを居所え引連参 夫婦同様にいたし居、子迄出生いたし候。
    猶又去年中より アバホツキと言めのこ 定と申稼方の者 女房同様にいたし居候事、何れも夷共口惜事に存居候。
    其外致密夫候者とも数多御座候事ゆへ 甚心外に存居候得共、少しも彼是申出候得は 却て此方よりツクナイ為差出候様、成非分の申掛に逢候得は 募て申出候儀致兼候。
    一、同所粕〆の中雇夷の價は、長人達は米糀三俵に ウタレは米糀壹俵又は貳俵、めのこはたばこ三把、貳抱、壹把つゝに間切壹丁にて召使候事故 難澁仕候。
    一、同所 むしりけし と申所にて去年中より鮭〆粕相始候處、其節雇われ参候夷とも 雪降候迄 日々働候得共 雇代(とても)は一向(くれ)申候故 甚難澁仕候。
    勿論雇われ中の事に候得共、少も自分働難成候に付、鮭賄等も一向支度仕兼、冬中は既に餓死可致程の儀に罷有候。
    一,同所支配人左兵衛申候には、當年御目附に御下り被成候勘平様義は 至て六ヶ敷(むつかしき)御人にて、蝦夷共粕〆働様不出精に候得ば 當嶋へ相下け候米、酒、味噌に到迄 毒を入置、面立たる夷共を致毒害候て、ホニシアイヌ、シコシャンケ(など)と申夷共を粕〆頭取申付候て 荷物出精為致候筈に有之候。
    併銘々申付を背 不働いたし候得ば、其節は當嶋夷ども不残毒害いたし、跡は もしりけし と申所をはじめ、ベどか、せゝき、ふるかまふ 其外是迄致住居候所へ 町屋を拵こしらえ(ルビ)、江戸よりシャモ人を数多取寄シャモ地にいたし 商貰可致由 左兵衛咄申候。
    然處當夏四月中惣長人サンキチ病氣に罷有候節、めなし領 うゑんへつ と申處の支配人勘兵衛と申者 早春より當嶋え相越候て 支配人役致居申候。
    則同人方より右長人サンキチ方へ暇乞の酒と申候て使文吉と申者 致持参候酒をサンキチ呑處、其儘相果申候。
    扨 又其砌、同所長人達マメキリと申夷の女房運上屋にて飯を為喰候所間もなく病死いたし候。
    其後運上屋にて何かの祝ひと申候て餅を搗候節、何か怪敷物を入候て 近邊の夷共へ振舞可申由にて 使相廻し候得共、跡にて稼方の者とも刀の目釘抔〆直し居候故、何れも夷ともは参不申候。
    其節 ちふかるうしへつ と申處の番屋に 通詞林右衛門罷居候所、是えも右振舞の使参候得共、同人致虚病参様承申候。
    此義右マメキリ承候て申候には、同人女房義運上屋にて致毒害 其上我等迄毒害可致事意恨に存居候。 御尋に付申上候。
    一、同所御目附勘平様當嶋へ早春より御渡被成候得共、何角御多用にてヲムシヤは暫の内延引いたし候に付 惣長人サンキチえ御内々にて御酒被下侯様被仰下候事ゆへ、同人少々不快に罷在候得共 早速罷上り御酒を戴申候。
    夫より勘平様御軽物御用に付暫の中 うらやすへつ え御越被成、勿論サンキチ病死の節は御留主故 被下置候御酒にては病気不仕候。
    右最初より申上候趣 少も相違無御座候。
    之不止事数多申合仕、シャモ人を討殺申候。
    御尋に御座候故 無包處申上候。


  • 引用文献
    • 新井田孫三郎 (1789) :『寛政蝦夷亂取調日記』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.679-730.

    • 参考Webサイト