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高倉新一郎 (1974 ), pp.19,20
交易品は最初北陸・東北方面の米作農家に蛋白質食料を補給する身欠きにしん・数の子・カラサケ [干し鮭]、それに調味料としての昆布に限られていたが、市場が拡大するにつれてその需要が変わってきた。
カラサケは本州から塩を積んで行き、蝦夷から生鮭を買って塩切りにする塩鮭 (いわゆる秋味) に変わり、さらに甘塩の荒巻きが歓迎された。
にしんは干し鰯に変わって魚粕肥料として関西方面で大量に需要されることになった。
昆布は干しあわび・煎海鼠と共に長崎における清国との重要貿易品として大量に要求されることになった。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
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