Up 網漁 作成: 2018-12-30
更新: 2018-12-30


      高倉新一郎 (1959), p.62
    蝦夷地産物の販路が拡がり、加工が進むと、漁獲法・製造法も勢い変らざるを得なかった。
    例えば鮭は、蝦夷はヤス又は銛で突いたり、ウライという止めを使ったり、鈎で引かけたり、簡単な網ですくったりしていたが、次第に引網が使われるようになった。
    鰊は最初、海岸によせて来るのをタモ網などですくっていたが、後には松前にならって差網(さしあみ)が用いられるようになり、さらに笊網(ざるあみ)とか、建網(たてあみ)とかいった大規模なものが使われるようになった。
    海鼠もヤスで突いてとっていたが、八尺網と呼ぶ網を海底に引きずってとる方法がとられ、
    昆布なども、水中に入って鎌で刈っていたのを、種々な道具で多量に採取出来るようになった。
    こうした関係は必然的に蝦夷と和人との関係を変えて行った



    引用文献
    • 高倉新一郎 (1959) :『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959