Up アイヌ振り 作成: 2018-11-28
更新: 2018-12-20


    村上島之允 (1800), p.150
     「 女子市中村里とも、髪長く色白くして、美艶細腰の者多し。
    然も衣服アツシ又は圖のことくさしたるもあり、又は白木綿の服を着するもあり。
    前垂布に蝦夷の文繍させ、紐の幅を廣くして帯の代りとせり。」



      高倉新一郎 (1974 ), pp.30-32
    アツシはきわめて丈夫で、水にぬれるとかえって織り目が密になり水をとおさないので、和人の水夫や漁夫等に珍重され、
    アイヌが美しい上に肌ざわりが柔らかなので珍重した木綿の古着などと交換され、
    幕末には盛んに用いられた。
    後には賦役のようにして蝦夷地でこれを織らせ、造らせたものである。
    漁夫の多かった松前では常人の労働着に使われ、下働きの者などは常衣であったし、水夫なども喜んでこれを着ていた。
    有名な松前追分節に次のように歌われている。
      アツシ 縄帯 腰には矢立 伝馬通いの 程のよさ
    これは回船宿の手先などが上にアツシを着て、きびきびと働いていた有様を歌ったものである。
    絵馬に描かれた回船の絵を見ても、水夫は皆アツシを着ている。
    単なる下働きだけではなく、旦那衆もチヂレまたはツヅレといい、紬などで和服を仕立て、わざわざアイヌの元に送ってアイヌの婦人に刺繍をさせ、伊達を競ったものだったという。
    婦人も労働着にこれを着、同じくアイヌ模様の刺繍をした二幅前掛けなどをしていた。
    安政(1854〜1860) 頃、斜里・厚岸・幌別など、漁猟の産物があまりなく、材料になるアツニの多いところでは、アツシが重要な産物になっていた。
    函館で一枚三分くらいのものであったという。



    引用文献
    • 村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
      • 佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982
    • 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974