Up 松前市場 作成: 2018-12-19
更新: 2018-12-20


      高倉新一郎 (1974 ), p.19
    ‥‥ 松前地方でとれる産物、にしん・昆布や蝦夷地の産物を目当てに集まる商船の範囲は次第に拡大し、寛文年間(1661〜1673) には北陸において日本海と瀬戸内海をつなぐ西回り航路と連絡し、全国過半の地と結ぼれるようになった。
    同時に船も大きくなり、航海の技術も発達して、諸国の船が松前目指して集まるようになった。


    蝦夷産物は,内地で(さば)けば金になる。
    そこで,西回り航路で商いをしている商人が,松前まで足を伸ばす。
    松前に市場が形成される。

    市場ができると,生産業は市場出荷を目的とするものになる。
    市場で取り引きされるのは,身欠き鰊,数の子,カラサケ,昆布等である。
    そこで和人地は,漁業が生業の中心になる。

    これの続くのは?
    市場は,《拡大が可能である限り拡大》がこれのダイナミクスである。
    市場は,松前規模では飽き足らないものになる。
    こうして,場所が市場拡大の舞台になっていく。


    引用文献
    • 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974