Up 蝦夷調査 作成: 2019-02-23
更新: 2019-02-23


      本多利明 (1791)
    時に浚明廟の御代厳命により、蝦夷界御見届御用有て彼地へ有司(有司) [役人] 趣く、(おも)うに幸甚なる哉、此時に逢う事、
    何卒利明(ひそか)我党を遣し、
    島々土地の正状を巡検し、
    北極出地 [北緯] に()り、百穀百果耕作の道、
    或は山海の土産及び金銀銅鉄の山岳、
    或は土人の風俗人情の模様、
    或は魯斉亜人日本国の境内へ渡り来り徘徊ノ始末、
    或は海路里程地理方位、
    或は日本より運送の大船渡海の節気早晩により海上波濤(はとう)あらく損益ある事、
    或は新製大船帆柱三本立を用い火器炮術をそなえ進退自在をなし、永久に荷役(にうち)破船なく運送便利を得る等の品々を探索し校究せん事
    生涯の丹誠なれば、
    其筋の有司に青嶋某 [俊蔵] という人あり、是を請うに、(ようやく)なって、
    予門人最上徳内を彼土地へ先陣役に諾し小計策に当りて、東蝦夷地へぞ遣しける。



    引用文献
    • 本多利明 (1791) : 最上徳内『蝦夷国風俗人情之沙汰』(『蝦夷草紙』) の「序」
      • 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.21-24.