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本多利明 (1791)
時に浚明廟の御代厳命により、蝦夷界御見届御用有て彼地へ有司 [役人] 趣く、懐うに幸甚なる哉、此時に逢う事、
何卒利明窃に我党を遣し、
島々土地の正状を巡検し、
北極出地 [北緯] に因り、百穀百果耕作の道、
或は山海の土産及び金銀銅鉄の山岳、
或は土人の風俗人情の模様、
或は魯斉亜人日本国の境内へ渡り来り徘徊ノ始末、
或は海路里程地理方位、
或は日本より運送の大船渡海の節気早晩により海上波濤あらく損益ある事、
或は新製大船帆柱三本立を用い火器炮術をそなえ進退自在をなし、永久に荷役破船なく運送便利を得る等の品々を探索し校究せん事
生涯の丹誠なれば、
其筋の有司に青嶋某 [俊蔵] という人あり、是を請うに、漸なって、
予門人最上徳内を彼土地へ先陣役に諾し小計策に当りて、東蝦夷地へぞ遣しける。
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引用文献
- 本多利明 (1791) : 最上徳内『蝦夷国風俗人情之沙汰』(『蝦夷草紙』) の「序」
- 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.21-24.
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