Up 自由主義経済論 作成: 2019-02-24
更新: 2019-02-24


    「アイヌ学者」が「アイヌの酷使」を説くとき,その内容は「安く買い叩く」である。
    彼らは,このロジックででよしとする。
    よしとするのは,彼らが社会主義の俗流搾取論に即く者たちだからである。
    彼らには,「米一俵 (八升) に付生鮭百二拾疋位」のレートの意味がわからない。

    このレートには,運上屋の必要経費,保険費が含蓄されている。
    そして,アイヌが受け取る額は,労働の対価である。
    これは,アイヌもわかっている。
    本州での生鮭百二拾疋の値段がこれだけなのに,米一俵 (八升) しかもらえない」のような幼稚な考え方をするのは,「アイヌ学者」だけである。
    実際,値段のことを言ったら,鮭はもともとタダである。

    最上徳内は,数学者本多利明の門下であることが示すように,数理に通じた者である。
    「米一俵 (八升) に付生鮭百二拾疋位」のレートの「有界可変性」を考えることができる者である。
    こうして,蝦夷経営論を説くことになる。

    このとき最上徳内は,規制撤廃・市場開放論者,今日いうところの新自由主義者になる。
    即ち,「運上屋が不徳を致すのは独占を許されているからであり,市場参入が自由となれば競争原理が働き,悪質なものは淘汰され,良質なものが残ることになる」を説く:
      最上徳内 (1800), p,151
    蝦夷地は前々より 定式((値))段有之交易仕候
    八升入の米一俵に付 生鮭百二拾疋位に御座候
    近場所は 百疋内の処も有之候
    然処(しかるところ) 船中の者其外は 内分仕候節は 六拾疋にも五拾疋四拾疋位にも 交易仕候
    夫にても利分に有之候儀に候
    蝦夷共承知罷在(まかりあり)
    依て蝦夷共申候
    請負人は 運上金差出(し) 夫(れ)丈(け)蝦夷の荷物を下直(したね)に取上け候事と相心得 且又請負人の難船等も不少 夫にて家業相成候得は(そうらえば) 蝦夷人の手元は格別下直に取上け 其助力を以て渡世仕候得は 必意蝦夷人より請負人を介抱致し候姿に相心得 聊以難有と存込候儀一向無御座候
    今度蝦夷地 御直の交易に相成候共 此道理は相違申間敷候
    後年には渠等(かれら)も 御役人は蝦夷の荷物を下直に取上け 其力を以て取続候儀と存込 難有帰伏仕候場に不至候事必定に候

      同上, p.152
    御用地の内は 
    商人共何方より勝手次第交易可致 
    売買直段も相対を以て勝手次第に相立 
    漁業稼の者も勝手次第何方なりとも(さし)(ゆるし) 
    住居も勝手次第何方へ成共差免置 
    諸国の舟も時宜に応し何れ成共出入為致可申候
    右の通に相成候得は 是迄運上屋差出候て一場所請負交易仕候処 運上金無之候に付身元細り候商人も 分限に応し商売相成 且何方成共勝手次第にすへく 我も人もと商人込可申候
    鮭は直段は(きめ)て 一倍も [いっそう] 引出し可申候
    蝦夷人悦の儀は不及申 商売人共蝦夷人に和順相成可申候
    其訳は 場所請負の節は他所より出入致候者無之 蝦夷の荷物他所に持出候も不相成 請負人の心儘に仕候得共 此度商人多有之 不挨拶にては商売も無之 自然と蝦夷は和順に相成 心儘に仕候者無之 風儀引替宜敷相成候は 相違無之所に御座候
    将又(はたまた)漁業稼の者は 請負相止候間 見込有之候場所に勝手次第に候得は 我も先 人も先と 名々罷越 漁業仕候
    然所商人有之荷物売捌も 勝手宜敷最早荷物売捌候上は 松前へ帰路仕候も無益に相成 翌年迄其処に罷在 終には住居候者も果して多く出来可仕候
    是又 相違有之間敷所に御座候
    右の通繁栄に相成候上は 荷物出来方相増候は勿論の儀 諸辺廻舟も 不招而入津可仕候
    古潤沢に相成候はゝ 畑作の儀 連年出来可仕候
    是又 相違有之間敷奉存候



    引用文献
    • 最上徳内 (1800) :「蝦夷地の儀に付存寄候はゝ無遠慮可申上様被仰聞候 依て御含にも可相成と奉存候儀仰に随ひ無遠慮相認可申上候 書付」
      • 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.150-153.