Up ウイマム/松前藩 作成: 2018-12-19
更新: 2018-12-29


      高倉新一郎 (1959), p.12
    [ウイマム] は松前藩とアイヌの酋長との間に久しく行われ、松前藩がアイヌを統治する重要な手段となっていた。
    その内容は時代によって異なるが、古い形は、アイヌの酋長が種々の土産を船に積んで松前の城下に行き丸小屋を作ってそこに荷物を陸揚して泊る。
    丸小展とは数本の柱の上を結んで円錐形に立かけ、その上に蓆を巻きつけて作る速製の小屋で、アイヌが旅先で泊る場合に用いる簡単な仮屋である。
    松前家ではこれを知ると、通詞を出して迎えさせ、酋長以下は礼装し、貴人を訪れる時にするように互に手をつなぎ、一列になって、通詞に導かれ藩主の前に出る。
    藩主も礼装し威儀を正してこれを迎え、贈物を受け、これに対して米その他アイヌの好むものを与え、酒を汲み交して別れる。


     ウイマム舟  (村上島之允 (1809),「五 (續造舟の部)」)


     松前・ウイマム舟・丸小屋  (小玉貞良)


     ウイマム  (村上島之允 (1809),「二 (禮部)」)


      高倉新一郎 (1959), p.47
    元和年間耶蘇教宣教師の報告によれば、蝦夷人が松前に持って来る産物は、
      干鮭(からさけ)(にしん)・白烏・鶴・鷹・鯨・トドの皮・ラッコの皮・
      トド油・鷲羽 及ぴ 緞絹(ドンキ)
    等であった。
    寛文年間の記録によると、
      干鮭・熊皮・鹿皮・真羽・鶴・鯨・塩引鮭・魚油
    の外、西蝦夷地では
      鰊・数ノ子・串貝・ねっふ・こっひ・あざらし・えぶりこ、
    東蝦夷地では
      干鱈・らっこ皮・赤昆布、
    それに近年鱒が加わりつつあった。
    それに対して松前から与えるものは
      米・酒・麹・塩・煙草・鉄類・衣料・漆器類・装身具
    などであった。