Up 離隔制──蝦夷地・和人地 作成: 2018-11-28
更新: 2018-12-29


      高倉新一郎 (1936), pp.166.167
    松前氏が先住民族たるアイヌの勢力を抑えて大和民族活動の基礎を確立したのは天文十九(1550)年のことであるが、
    当事は和睦の形で附近の蝦夷と結び、この歓心を買ってその勢力範囲を保持したに過ぎず、その勢力が次第に大きくなって一藩として独立するに至っても、わずかに渡島の一角に割拠する小藩に過ぎず、これに反してアイヌの勢力は後世のそれとは比較にならない位強大なものであったから、土人の権利を無視し、これを圧迫して植民者のみの利益を守るということは到底望み得なかった。
    故に離隔制 (Segregation) をとり、可及的にアイヌと和人の接触を避け、いわゆる蝦夷地のことは全くアイヌの住むがままに任せておくほかはなかった。
    大部分のアイヌは自治のままに放任され、彼等の風俗、習慣に対しては何等松前氏の干渉を受けることなしに生活していたのである。
    もっとも松前藩は、その独立の基礎として、蝦夷地交易の独占を認められ、蝦夷地を若干の場所に分けてこれを家臣に分ち与えたが、知行主と場所内のアイヌの関係は交易に止まり、アイヌはこれによってほとんど束縛を受けることはなかった。
    松前藩はアイヌの従来の慣習に干渉することなくこれを認め、アイヌをして自由に漁狩に従事せしめ、その獲た所のものを交易によって獲得していたのである。

      内田武志 (1966), p.276
    松前慶広(よしひろ)は徳川家康から蝦夷島支配の黒印状を授けられて (慶長九年、一六O四)、福山城 (松前町) を築き、統治することになったが、当時和人は日本海岸は熊石付近、津軽海峡面では汐首岬付近に至るまで、城下福山を中心とした東西各二十五里ほどの地に住み、それ以外の地はすべて蝦夷 (アイヌ) が占拠していて、まだ支配がおよばなかった。
    それで慶広は現状によって蝦夷地と和人地を区画し、和人地にはそれまで雑居していたもの以外の蝦夷の来住を禁止し、また蝦夷地には和人の往住を許可しなかった。
    そして和人地と蝦夷地の境界には関所を設けて出入りの者を取り締まったが、その番所は、西方は熊石 (爾志郡)、東方は亀田 (亀田郡) に置かれていた。
    そして福山城下を中心として、以西の和人の居住地域を西在(にしざい)とか上在(かみざい)といい、以東を東在(ひがしざい)、または下在(しもざい)といった。
    西方を(かみ)と称したのは、おそらく松前氏が福山から西に当たる上国の出身であったからであろう。
    蝦夷地も同様に西蝦夷地 (上蝦夷地)と東蝦夷地 (下蝦夷地) に分かれているわけである。

      高倉新一郎 (1959), p.24
    ‥‥ 短い間にすべての場所が設立され、それが知行化したとは考えられない ‥‥


    〇 和人地
    • 近世初頭
        西は乙部村,東は亀田以南の石崎村
    • 17世紀末
        西は熊石村,東は石崎村
    • 1800年(寛政12)
        小安〜野田追間の箱館6ヵ場所の〈村並〉化に伴い,東の境が事実上山越内(現,八雲町)まで北上

デジタル熊石町史「第4章 松前藩の成立」から引用 :


    〇 蝦夷地
    • 口(くち)蝦夷地・近蝦夷地
        和人地に近い南部の蝦夷地
    • 東蝦夷地・下蝦夷地
        南千島を含む東北海道部
    • 西蝦夷地・上蝦夷地
        熊石以北宗谷までの日本海側,および宗谷から知床岬に至る,北海道西北部
    • 北蝦夷地
        樺太 (カラト島・カラフト島) を,1809年 (文化6) 以降「北蝦夷地」と呼称

小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』「蝦夷地」から引用 (一部削除):



    上記区分は,漠然としたものから始まった。
    1799年,東蝦夷地を幕府直轄とすることになって,境界をきちんと画定せねばならなくなる。


    引用文献
    • 高倉新一郎 (1936) : 「アイヌの漁猟権について」,『社会経済史学』第6巻6・7号, 1936
      • 高倉新一郎『アイヌ研究』, 北海道大学生活協同組合, 1966., pp.163-217
    • 高倉新一郎 (1959) :『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
    • Siebold (1881) : 原田信男他[訳注]『小シーボルト蝦夷見聞記』(東洋文庫597), 平凡社, 1996
    • 内田武志 (1966) : 内田武志・宮本常一編訳『菅江真澄遊覧記 2』(東洋文庫), 平凡社, 1966.
    • 『日本大百科全書(ニッポニカ)』, 小学館, 1994.

    引用Webサイト