Up 卑近の動機 : <学者の愚劣>の暴露 作成: 2019-11-22
更新: 2019-11-22


      日本文化人類学会 (2009)
    初等・中等教育においてアイヌの人々も含めた先住民族に関する理解の促進を図るべきである。‥‥‥
    教育を担当する教員自身がアイヌの人々が先住民族であるという基本的認識の持つ意味を十分に理解する必要がある ‥‥‥
    アイヌ研究者養成のために積極的な策を講じることが必要である。そうした研究者には必ずアイヌの人々が含まれなくてはならない。

    社会は,このような誘導に簡単に乗ることがある。
    社会は,複雑系理論で「創発 emergence」と謂っているダイナミクスの働くところだからである。

    本論攷の卑近な動機は,社会がこのような誘導に簡単に乗ってしまわないよう,《このような誘導をしてくる者たちはどのような者たちであるか》を社会に知らせようというものである。


    ひとは,学者を識者と受け取る。
    そして彼らを権威にする。

    社会を誘導したい者は,ひとのこの思いを利用する。
    自分が言いたいことを学者に言わせる。

    事実は,学者は識者ではない。
    文字通り,学んでいる者である。
    学んでいるのは,識らないからである。
    《ひどく幼稚で愚劣》が実態である。

    しかし学者には,勘違いする者がいる。
    大衆を幼稚で愚劣なものにして,これを自分が指導しようと思う者である。
    このタイプの者たちには,一定の素地がある。
    前衛イデオロギーの洗礼を受けている,というのがそれである。

    上に引用した日本文化人類学会は,このような者たちの主導するところとなっている。
    実際,この学会は,学会として終わっているものである。
    1972年に「アイヌ解放同盟代表 結城庄司殿,北方民族研究所代表 新谷行殿」宛にわび状を出し,そして 1989年につぎのように述べて,アイヌ民族主義陣営が攻撃してきた学者を自ら葬った:
      日本民族学会 (1989)
    アイヌ民族文化が, あたかも滅びゆく文化であるかのようにしばしば誤解されてきたことは,民族文化への基本認識の誤りにもとづくものであった。
     『アイヌ学者の終焉』


    前衛イデオロギーを振り回す者は,元気がいい。
    周りはこれに押し切られる。
    学術の基盤の弱い学会・大学などは,簡単に学術を捨てイデオロギーに降る(てい)になる。

    そして「経済」が,事情を複雑にする。
    「革新」──生態学で謂う<攪乱>──は,経済効果になるのである。
    実際,商品経済は,<壊して作る>で成り立つ。
    商品経済では,自然災害も大事な経済効果になる。

    こうして,「革新」勢力には,利権がつく。
    学者は,利権のために働く者になる。
    今日, 「アイヌ事業」の予算がつく "アイヌ" イベントには,いつも「文化人類学者」がいる。


    引用文献
    • 日本民族学会 (1989) :「アイヌ研究に関する日本民族学会研究倫理委員会の見解」, 民俗學研究, 54(1), 1989
    • 日本文化人類学会 (2009) :「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告書についての見解」, 2009