Up アイヌの集団形態 : 要旨 作成: 2019-11-07
更新: 2019-11-07


    己の生存・繁殖を競う動物は,なわばりをつくる。
    社会的動物だと,他の集団と競うことから,自分たちの集団のなわばりをつくる。 ──集団は,なわばりを含意する。

    人間は,入れ籠的に集団を形成する── 一家,村,地域,国。
    そのそれぞれになわばりが付随する。
    そして集団ごとに,<長>が自ずと出来る。

    アイヌの場合は,どうであったか。
    先ず,<国>──なわばり争いの相手を外国とする集団──は,アイヌがつくるものではなかった。
    アイヌの場合は,一家,村 (コタン),地域集団 (=地域の村の連合),地方集団 (=地域集団の連合) となり,地方集団が最大のものである。
    しかも,地方集団は,松前藩の蝦夷統治になって終わりとなる。
    実際,松前藩のアイヌ統治は,地方集団を終わらせることから始まる。

    地方集団をここでは「部族」と謂い,この長を「族長」と謂うことにする。
    「寛文蝦夷蜂起」(1669) に出てくる「ハイクルの長オニビシ,メナシクルの長シャクシャイン」は,この例である。

      高倉新一郎 (1936), p.168
    寛文九 [1669] 年の蝦夷乱をはらんだメナシクルとハイクルの紛争は、先づ染退川(シブチャリ)治岸の漁猟権を中心として次第に悪化していったものである。
    「津軽一統志」の記するところによれば、乱のあった四年前すなわち寛文五年初頭、メナシの者が川上へ鹿取りに上ると、
     「 オニビシ (ハイクルの酋長) 是を見付、山へ押懸、其方共は川にて魚取申事は自由にて可之候。従是奥山之義はとらせ申間敷由談判」
    して取らせず、しかも翌年ハイクルが川下に来て魚を取ってメナシクルの恨を買い、こうした紛争が重って遂には殺傷をするまでに至った ‥‥


    松前藩のアイヌ統治は,村ないし地域集団の長を通じてアイヌ全体を統治するというものである。
    集団の長は,集団の大きさに準じて,乙名(おとな),総乙名の役名が与えられた。

      高倉新一郎 (1974), p.146
    和人との接触の最初には、酋長の有力なものを、和人の村長と同じように乙名と呼び、それを通じて統治していたが、後には乙名の任命を和人の選択で行なうようになった。
    そして数部落を合して乙名を任命し、その下に乙名を助ける小使い、その相談役のミヤゲトリ(みやげ取り) をおき、これを三役といった。
    その上、一地方にさらに総乙名・脇乙名・総小使いなどを置いた。
    そしてウイマム‥‥と称し、時々三役を松前に呼んで待遇し、
    またオムシヤ‥‥と称し、年に一回その地方の全アイヌを集めて漁勘定を行なう時やその他の時に種々の心得を読み聞かせ、役夷を任命し、待遇した。
    この三役は後に、生活を日本風に改めた者に対し庄屋・名主・年寄りなどの名が与えられ、本州の村制と同じものになった。


    引用文献
    • 高倉新一郎 (1936) :「アイヌの漁猟権について」,『社会経済史学』第6巻6・7号, 1936
      • 高倉新一郎『アイヌ研究』, 北海道大学生活協同組合, 1966, pp.163-217
    • 高倉新一郎 (1974) :『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974