Up 作成: 2016-11-24
更新: 2019-11-11


    (1) 仮居
      最上徳内 (1790), p.32
    蝦夷土人家宅(ある)とも、生涯所に定居することなし、
    漁猟多き地あれば、其の家宅を()て家族と共に器財を(たずさ)えて其の地に行き、又家を作り作業をなす、
    是夷人の風俗なり、
    (かつ)、春夏秋冬に(より)て魚漁のある海浜と無き地とあれば、一年と同所に居ることなし、
    只漁猟の多き地を追て仮居し年月を送る故に、生涯居処を定めざるなり。


    (2) 土地
      村上島之允 (1809), p.614
     凡夷人の境には郷里村邑の界といふ事もあらず。
    然故に住居をなすといへども人々自己の地と定りたる事なし。
    いづれの地にでも心にまかせて住居を構へ、又外に轉じ移る事も思ひ思ひ、いづれの地になりとも住居をかふるなり。
    たゞ家を造るに至ては殊に法ある事多し。
    まづ家を造らんとすれば、其處の地の善悪をかんがふるをもて造営の第一とす。
    地の善悪といへるも獵(猟)業並に水草等のたよりよき地を撰みなどいふ事にはあらず、其地にて古より人の變死などにでもありしか、あるは人の屍など埋みし事にでもあるか、其外すべて凶怪の事とふありて清浄ならざる事にてもなかりしにや、といふ事を能々糺し極め、いよいよなんのさゝわりもなき時は、其外はよろづの事不便なる地にでも、撰むに及ばず其所を住居つくるべき場所と定め、それより山中に入りて材木を伐出し、次第に造営する事なり。
     家を外にかへ移す事は、其家の主人死するか、あるは主人に非ざれ共、變死する者あるか、其外すべて其家のうち、又は其家のかたわらにて凶怪の事等あるときは、そのまゝ家を焚焼して外の地の潔き處に移て住居す。
    又凶怪の事あるにはあらでたゞ年久敷住たる故破壊せるに至りても、其所にて造りかふるといふ事はあらず、多くは外の地に改めたつるなり。
       但、凶怪の事にあらずして造りかふる時は、ことにより其まゝの跡にたつる事もあり。
    又其破壊したる家の古き材木をもとり用ひて、本邦にいはゞ修覆などいふ如くなる事もあるなり。


    (3) チセ (家)
      村上島之允 (1809), p.614
    居家の製、其かたちの替たる事、東地にしては南方シリキシナイの邊より極北クナシリ嶋に至るまでの間凡三種あり。 其うちすこし宛は大小廣狭のたがひあれども、先づは右三種のかたちをはなれざるなり。‥‥
    只、屋を(ふく)にいたりては、茅を用るあり、草を用るあり、あるは竹の葉を用ひ、あるは木の皮を用るとふのたがひ有て、其製一ならず。
    キ(茅) キタイチセの圖

      高倉新一郎 (1974 ), pp.52-54
    家はその地方により一定の方向、多くは長辺を東西にとり、西に入口を設け、中央西寄りに炉を切り、入口に対する東壁の中央に窓が切つであった。
    この窓は神窓といって神々の出入口であり、神事に関するものはこれから出入りさせ、のぞいたりすることは許されない。
    明り取りの窓は南壁に開かれていた。
    奥部と東部および神窓からいって右手 (入口から向かって左手) がもっとも上座で、東北隅はもっとも神聖な場所として家神が祭られ、壇を設けて祭具および宝物が置かれていた。
    主人夫婦は炉の北側に座を占め、起居し、家族・客は反対側、下人は火尻に座を設けられ、この秩序は厳重に守られた。
    狩猟具などは奥に、炊事は入口近くで行なわれた。
    床は土間で土を固めた上に草をしき、その上に()をしき、さらにむしろを敷き、来客の場合はその上にむしろを重ねた。
     ‥‥
    壁は草、窓は草壁を切っただけで、入口は吊りむしろだった。
    したがっていくら火をたいても寒さを充分に防ぐことはむずかしく、蒲の葉で緻密に編んだむしろを壁にめぐらしてすき間風を防いだ。

      村上島之允 (1800), p.57

    図中の吊り下がっているものは,油の入った革袋:
      高倉新一郎 (1974 ), p.42
    ‥‥料理法も肉・野菜・穀物などを混ぜて煮たものが普通であった。
    特徴といえばこれに油を加えたことで、油は多くくじら・あざらし・まんぼうなどからとり、皮袋に入れてたくわえてあった。


    (4) チセの住み心地
      Siebold (1881), p.47
     小屋の中では、すべての物が煙で黒くなっている。
    そのことは別としても、全体がかなり不潔であるため、特に天気が悪く、すべての窓を筵で覆っている時には、小屋の中に居ることが非常に不快となる。
    また、どんな温度でも構わずに滞在する「小さな跳ねる住民」のノミはいつもいるが、暖かい季節には、類が友を呼ぶように、蚊やヤスデなどの煩わしい虫も家につく。
    しかし、(これらに非常に悩ませられる乳飲み子を別とすれば) 親切な母なる自然は、これらに対してアイヌをまったく無反応にさせてくれたようである。

      Batchelor (1901)
    pp.117,118
     住む上には、小屋はもっとも快適な場所ではない。というのは、われわれの考えによると、この人種では、家の快 適さは、まったく二次的に考慮すべき事柄だからである。もし人々が辛うじて生きられ、動物性の栄養物を手に入れ ることができるならば、彼らは満足である。
    彼らの村は遠方から見ると、実際まったく絵のように美しい。
    ‥‥‥
    しかし絵のような光景と美しさは、近づいてよく見ると、消え去る。
    二、二一週か、二、三か月──二、二百か、二、二一分でも十分だと言う人もいる──それらの小屋の一つで過ごすと、日本の宿屋もそれに比べると、快適さの点では、天国のように思える。
     小屋は頑丈に作られていないので、小屋を吹き抜ける風は、ときにランプかロウソクの光をともし続けることができないくらいの速きである。
    あるとき、私はロウソクを消さないようにしようとして、四方にむしろ(マット)をぶら下げた。しかし私の努刀はすべてむだだった。 早く寝る以外、それに対してなすすべがなかった。
    私の寝台はいくらか堅かった。 というのは、それはただの板でできていたからである。
    板の寝台の十工な難点は、冬にはその板がなんら熱を出さないように思えることである。 そこで、私は動物のなめしてない墜く乾いた毛皮と湯タンポで体を温め続けねばならなかった。 というのは、アイヌの小屋は、冬には非常に寒いからである。
    さらに干物の魚──そのなかには腐って屋根からぶら下がっていたものもあった──は、おいしそうな匂いを出すやところでなかった。
    煙もまた非常に迷惑なもので、日を刺激して、涙を流させた。
    ある地方の小屋は、夏には、カブト虫、ハサミ虫、およびその他のいやな見虫で一杯である。
    へビは、ネズミやツバメの巣を求めて、わら葺き屋根を訪れる。
    ノミは昆虫のなかでもっとも厄介なもので、白人の血を特に好むらしい。
    あるとき、私は朝起きたとき、私の体が刺し傷で一面に覆われているのを発見した。 しかし奇妙なことをいうが、その晩以降、ノミは私になんら跡を残すことができなかった。
    アイヌの国を旅しようと思う人は、大量の殺虫剤をもって行くべきだ。
    p.122
     煙突はないが、煙を山すために屋根の一つの斜面か、両斜面に一つの穴がわざと残されている。これらは二つの窓 とともに、すべての実川的な口的としては完全に十分だとみられている。しかし煙は目と喉をときに非常に刺激する。

      Bird (1880), p.133
    家[チセ] にも(のみ)[タイキ] がうようよいる。 だが、日本の〈宿屋〉ほどにはひどくない。
    そして山間(やまあい)[内陸] の集落[コタン] は見かけ上は実に清潔で、[本州の村とは違って] 塵芥(ごみ)が散らかったり山積みになっておらず、肥溜(こえだめ)もない。
    乱雑さは皆無である。
    悪臭も家の内外を問わずまったくない。
    家の通気性がよく、煙で(いぶ)され、塩漬けの魚や肉は足高倉[プ] で保管されているからである。
    ただ、本来なら雪のように白いはずの老人たちの髪の毛と顎髭は、煙と汚れのために黄ばんでいる。


    (5) 捨置場
      Bird (1880), p.133
    山間(やまあい)[内陸] の集落[コタン] は見かけ上は実に清潔で、[本州の村とは違って] 塵芥(ごみ)が散らかったり山積みになっておらず、肥溜(こえだめ)もない。
    乱雑さは皆無である。
    悪臭も家の内外を問わずまったくない。

      村上島之允 (1809),「二 (耕作の部)」
    ラタネの二種は神より授け給へるよしいひ傳へ、尊み重んずる事初に記せる如くなるにより、およそ此二種にかゝわりたる物は(いささか)にても軽忽にする事ある時は、必ず神の罸(罰)を蒙るよしをいひて、それより出たる糠といへども敢て(みだり)にせず、捨る所を住居のかたはらに定め置き、イナヲを立て、神明の在る所とし尊み置く事なり。  
    唯糠のみに限らず、凡て二種の物の朽たる根、あるは枯たる葉、其餘二種の物にあづかるほどの器具は臼、杵、(とう) (鍋, 釜)、椀より初め爐上に穂を干すの簾、あるは自在等の物に至るまで、破れ損ずる事あればひとしく是を右の所に捨置て他に捨る事決てあらず。
    殊に其破れたる器具を水を遣ふの事に用ひ、及び水中に捨る事(など)は甚忌みきらふ事なり。  
     簸事で出た糠を捨てる (ムルヲシヨラ)
     
     糠を捨る所に立て在る神 (ムルクタウシウンカモイ)


    (6) 丸小屋
      串原正峯 (1793), p.505
    丸小屋といふは
    長さ壹丈二、三尺もある丸木を貳拾四、五本圓のごとく建、
    夫へ上より段々キナにて覆ひ キナといふは夷の葦苫の事なり、かくして雨風を凌ぎ、
    一方に口を明、出入をするなり。
    上にも煙ぬきの穴有、
    丸小屋の内、
    差渡凡貳間程丸く座取て、
    眞中に爐を拵、煮焚等をなし、
    予抔蝦夷地通行の節、運上屋其外夷小屋等なき所にて度々此丸小屋を補理止宿せしなり。


    島田元旦 (1799)


    引用文献
    • 最上徳内 (1790) :『蝦夷草紙』
      • 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.19-115.
    • 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
    • 島田元旦 (1799) :『蝦夷紀行図 下』
    • 村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
      • 佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982
    • 村上島之允 (1809) :『蝦夷生計図説』
    • Bird, Isabella (1880) : Unbeaten Tracks in Japan.
        金坂清則 訳注 『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012.
    • Siebold, Heinrich (1881) : Ethnologische Studien über die Aino auf der Insel Yesso.
        原田信男他 訳注『小シーボルト蝦夷見聞記』(東洋文庫597), 平凡社, 1996
    • Batchelor, John (1901) : The Ainu and Their Folk-Lore.
        安田一郎訳, 『アイヌの伝承と民俗』, 青土社, 1995
    • 高倉新一郎 (1974) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974