Up アイヌ語 作成: 2016-12-28
更新: 2019-11-15


    (1) 消滅した言語
    アイヌの言語は,《これを他の言語と系統進化的に関係づけることをできる者は,いない》の意味で,独特のものである。
    そこで,アイヌ語と呼ばれる。
    但しアイヌ語は,<数戸規模のコタンが北海道全土に散開>の上の言語なので,多数の地方語 (方言) として捉えるものになる。

    アイヌ語は,アイヌの終焉とともに消えていった。
    明治新体制になると,アイヌは集団に籠もってはいられなくなり,外に出る。
    外はアイヌ語が用を為さない世界である:
    • 日本語を使う世界
    • アイヌ語には翻訳できない世界
    そして,外の出来事は内に持ち込まれるから,内もアイヌ語が用を為さない所になる。
    こうしてアイヌ語は使われなくなる。
    そして消える。

    アイヌ語が実際どんなものかであったかは,わからない。
    アイヌがいた時代の文献に現れるアイヌ語は,単語のメモ程度であって,文の解釈や文法を記したものは無い。
    アイヌ終焉の短い期間がアイヌ語を記録し留めるラストチャンスであったが,それは起こらなかった。
    即ち,それをする者が出て来なかった。
    実際,たとえ「アイヌ語を記録し留める」を思いついたとしても,それはだれでもできるというものではなかった。
    言語学・文化人類学の方法に一定程度通じていることを要したからである。

    当時それができたと目される人物に J. Batchelor (1854-1944) がいるが,彼は辞書 (文法篇を含む) を残すのみであった。
    アイヌ語研究の創始者とされる金田一京助 (1882-1971) は,言語学者としてアイヌ文学の採集とアイヌ語系統論に力を傾注する者であった。文化人類学者がするような生きた日常語の記録は課題としなかった。
    日常語の記録を課題としなかったことは,知里真志保も同様である。そしてもともと彼は,アイヌ語を知らずアイヌ語を習うところから始めた者であり,アイヌ語に特段強みをもつというのでもなかった。

    アイヌ語が消えてしまった後のアイヌ語研究は,後の祭りである。
    これがアイヌ語だとしていま説かれているものは,日本人外国移民の2世・3世数人から取材して類推構成した日本語のようなものである。
    生きたアイヌ語の記録が無い以上,それに対するときは眉に唾をつけながらということになる。


    (2) カテゴリー化の独特
    異文化の言語は,《事物の捉え方は同じで,事物を表すことばだけが違う》というものではない。
    事物の捉え方からのところから,既に違うのである。
    よって,二言語の間の翻訳は,一般に<言い換え>のようにはならない。

      知里真志保 (1953),「序言」, pp.8-13.
    従来の文献に見られる欠陥(8)
    ──植物に対するアイヌの考え方の無視──

     従来の文献に見られる最大の欠陥,まことに致命的とも云うべき重大な欠陥わ,植物に対するアイヌの考え方を根本から無視したことである。
    そのために,アイヌ語の植物名に関して,まことに致命的な誤謬が,アイヌ語の植物名を記述している凡ゆる文章に於て,ーの例外もなしくりかえし犯されているのである。
    以下,そのことについて,項を分って,いささか詳しく説いて見ようと思う。

     1) アイヌ語にわ木の名も草の名も存在しない──
     実を云えば,アイヌ語に於てわ,巌密な意味でわ,木の名も草の名も本来存在しないのである。
    こう云えば,恐らく何を馬鹿な,と思う人が多いであろう。
    もしアイヌ語に木の名も草の名も存在しないならば,従来の学者は総ペて虚偽を書いていたとゆうことになる。
    ──事実,そうだったのである。
    アイヌに於てわ,木や草の部分部分の名わ存在するけれども,その木その草全体を表わす名称わ,もともと存在しなかったのである。
     例えぽ,エゾノエンゴサクの塊茎を「トマ」(tomá) と云い,葉を「トマラハ」(tomáraha) と云い,花を「イトーベシラ」(itopenra) と云うがエグノエンゴサクそのものを表わす総体的な名称わ,アイヌ語にわ全く無いのである。
    それを従来の著書わ申合せたように「エゾノエンゴサク あいぬ名トマ」(『樺太の植物』 p.185) ,の如く記述しているのである。
    エゾノエンゴザクなる和名に相当するアイヌ名わ,始めから存在しないのである。
    パチラー氏の辞書わ,「トマ」なるアイヌ語に対して,"エゾノエンゴサク。Corydalis ambigua Cham. et Schlecht.", の如き説明を与えているが,これわ植物に対するアイヌの考え方を無視した誤訳である。
    正しくわ,「エゾノエンゴザクの塊茎」とすべきことわ勿論である。
    これわ凡ゆる植物に就いて云えることである。

     2) 凡ゆる槌物の和名にわ二種の意味がある──
     日本語のフキと云う語にわ二つの意味がある。
     「フキが芽をだした」と云った場合のフキは,Petasites japonicus なる生物そのものの名である。
    ところが「 フキの煮付」などと云う場合のフキわ,Petasites japonicus なる生物の体の一部分,即ちその葉柄の部分のみを表わすに過ぎない。
     これわイモなる語に就いて見ても同様である。
    「イモの花が喚いた」と云った場合のイモわ,北海道の方言としてわ,Solanum tuberosum なる生物そのものをと表わす名構であるが,「イモの塩煮」などと云う援合のイモわ,その生物の体の一部分なる根茎を表わすに過ぎない。
    フキやイモに限らず,凡ゆる植物の和名にわ,この二つの意味,──すなわち,(イ) その植物全体を表わす場合と,(ロ) その植物の体の一部を表わすに過ぎない場合とがあるのである。
    然るに,植物の専門書わもとよりのこと,凡ゆる国語辞典が,この (ロ) の意味を見落しているのである。
    しかも,発達の順序から云えば,もちろん,(ロ) の意味の方が先にあったのであり ,(イ) の意味わ後からの発達と考えられる。
    アイヌ語の植物名に於てわ,(ロ) の意妹のみがあって,(イ) の意味わ未だ充分発達するに到っていないのである。
     一体,アイヌに於てわ,生活に利害関係を有する植物にのみ名が附き,しかも,その利害関係を有する部分にのみ先ず名が附くのが常則であるから,その意味に於て,花・葉・茎・根・皮・果実等にそれぞれ別に名が附いていても異とするに足りないわけである。

     3) アイヌの植物名わ必要ある部分にのみ附く──
     アイヌの植物を利用する目的にわ,器具器材を造り,燃料を採り,衣料を採り,食料飲料を採り,薬用呪術用にも供し,遊戯や玩具などにも利用する等,種々の場合があり,それぞれの目的に応じてその利用する部分を異にしている。
    その利用する部分に就いて云えば,根を利用するもの,茎を利用するもの,茎と葉をと利用するもの,葉のみを利用するもの,皮を利用するもの,果実を利用するもの等々,これも種々の場合があり,その利用している部分にのみ特別の名を附している場合が多いのである。
     例えば,谷地蕗 (エゾリュウキンカ) でわ,その利用する部分わ根だけである。従って,その根の部分だけに「アハト゚リ」(áxturi) とゆう名が附いているのである。それを従来の著書わ,これがあたかもこの植物全体を表わす名称であるかの如く思い誤って,“ヤチプキ (毛茛科) アイヌ名アツツリなどの如き書き方をして顧みなかったのである (西鶴定嘉「樺太アイヌ』 p. 110) 。
     これはほんの一例であるが,ひとり根だけでなく,茎に就いても,葉に就いても,其の他の部分に就いても,同様の誤解が支配していたのであって,これらわ総べて,既に述べた如く,植物に対するアイヌの考え方を根本的に無現したことから生じた間違だったのである。

     4) 一つの植物も用いる部位によって名称を種々にする──
     植物によってわ,根も,茎も,葉も,時にわ花までも,利用するものがある。そのように,利用する部分が種々ある場合にわ,その各々の部分にそれぞれ別の名を附けるのが,アイヌに於ける植物命名法の常則である。
    従って,一つの植物が,それぞれの部位に於て,種々名称を異にする例が幾らもあるのである。
     エゾノエンゴサクが,その塊茎と,葉と,花とに,それぞれ別の名を有することわ既に述べたが,尚一二例を拳げるなら,蕗わその根と,葉柄と蕾とを食用に供し,その葉も物など包むのに利用するので,それぞれ特別の名が附いている。
    根わ「キナサパ」(kiná-sapa) と云い,葉柄わ「ルイェキナ」(ruyé-kina) と云い,葉わ「コリヤム」(koríyam) と云い,蕾 (所謂フキノトォ) わ「ピーネキナ」(píne-kina) と云うのである。
    エゾマツの茎 (根と葉とを除いた部分) を「スンク」(sunku) と云い,その皮を「ヤラ」(yára) と云い,その枝根を「メチロ」(mechirox) と云う。
    皮わ屋根や壁を葺くのに用い,枝根わ物を綴じたり縛ったりするのに用いて,それぞれ特別の用途を持っているために,特別の名が附いているのである。
    ハマナシの茎わ「マゥニ」(máw-ni) と云い,その果実は「オタルッ」(otárux) と云う。
    これも果実わ食用に供し,刺のある茎わ魔除けに利用するからである。

     5) 同じ部分に種々異る名称が附く──
     ハナウドの生の茎を樺太でわ「ハラ」(hará) と云い,根生葉の葉柄を「シト゚ルキア」(sitúru-kina) と云う。
    「伸び出た草」の意味であるらしい。
    アイヌわこれを取って来て,皮を剥いて食べたり,裂いて乾して越年用に貯蔵したりする。この皮を剥いたものを「チキサキナ」(chi-kísa-kina 我ら・皮をむいた・草) と云い,裂いたものを「チペレキナ」(chi-pére-kina われら・裂いた・草) と云い,越年用に貯えているものを「チエイヌンキナ」(chi-e-inun-kina 我ら・それを・貯えている・草) と云うのである。
    然るに,或本には,"ハナウド あいぬ名 スツルキナ チベレキナ",と書いてあり (『樺太の植物』 p. 247) ,また "エゾニウ あいぬ名 ハラ",とも書いてあって ( 上掲書 p. 245) ,「シト゚ルキナ」や「チペレキナ」がハナウドを総称する名称と思い誤っているばかりでなく,「ハラ」なるアイヌ語をエゾニウの総称であるかの如く誤解している。
    また或本にわ,"花ウド (píttok,樺太 hara,方言サク) ",とある (金田一博士『採訪随筆』 p.138)。
    pittok わハナウドの総名でわなく,根生葉の葉柄をさす名称であり,また hara わ,もとの形が har で,それわ北海道の方言と同じものであり,かつ,これもハナウドの総名でわなく,中心に出る中空円柱形の茎をさす名称である。
    また或本でわ,"ハナウド (五加科) アイヌ名スツルキナ",と記し,尚 "シユツルイキナの訛であろう。根の太い草の義。高さ二米に達する草木で云々" と説明している (西鶴『樺太アイヌ』 p. 108) 。
    しかし,ハナウドわ,ウド科などでわなく,サンケイ科である。
    またこの語原解も植物の実際に即しない謬説である。
    「シト゚ルキナ」わ葉柄であるから,高さ2米に達するなどとゆうことわあり得ない。
    以て,従来の著述にわ,いかに出鱈目な,学問の名に値しない記述が多かったかを見ることができるのである。

     6) 「キナ」及び「二」なる語の意義に就いてー──
     バチラー氏の辞書で「キナ」(kina) とゆう語を引いて見ると,"大なる草の総称。‥‥‥ A general name for grasses and herbs of the largerkinds …… " とある。
    「キナ」を「大なる草の総称」とすることは誤である。
    "キナと名のついたものでも相当小さいものもある" (『コタン生物記』p.48) のであるし,アイヌにわ木でも草でもそれを総称する名称の無いことわ,上来繰返し説いた所である。
     一体,「キナ」とゆうアイヌ語を,「草」と訳すことすら,実わ問題なのである。この語わ
      「ルイェキナ」(ruyé-kina) (フキの葉柄) や「シト゚ルキナ」(sitúru-kina) (ハナウドの葉柄) の時わ「葉柄」だけを指し,
      「パラキナ」(pará-kina) (ミズパショォの葉) や「エルムキナ」(érum-kina) (オオパコの葉) の時わ「葉」のみを指し,
      「 アイェンケキナ」(ayénke-kina) (エゾアザミの茎葉) の時わ「茎葉」全部を指す
    のである。
    従って,「アイェンケキナ」とあるのを単に「エゾアザミ」と課すのわ誤であり「エゾアザミの茎葉」とまで訳出するのが正しいのである。
    逆に,エゾアザミに対して直ちに「アイェンケキナ」当てるのも誤なのである。
     同様に,「二」(ni) とゆう語をパチラー氏の辞書で引いて見ると "樹。‥‥‥A general name for trees ‥‥‥" としてあるが,これも正しくない。
    「二」わ木本植物からその根と葉とを除いた部分を云うのである。
    従って,「アィカン二」(áykan-ni) や「アィマン二」(áyman-ni) を,それぞれ「ハイイヌツゲ」「 ハイネズ」などと訳すのわ誤であって,正しくわ「ハイイヌツゲの茎」とか「ハイネズの茎」とかしなければならないのである。

      知里真志保 (1953),「序言」, pp.13,14
     7) アイヌに於てわ木や草わ植物でわない──

     「ルイェキナ」を「フキの葉柄」と語し,「パラキナ」を「ミズパショォの葉」と訳し,「アイェンケキナ」を「エゾアザミの茎葉」と語し,「アィマン二」を「ハイネズの茎」と訳し得たとしても,じつわ,問題がそこで終ったのでわない。
    茎とか葉とか茎葉とか葉柄とかの訳語わ,対象を示すだけで,その対象をアイヌがどのように把握しているかとゆう,語の意味の在り方についてわ,なんら触れるところがない。
    そのような訳語わ,木や草を植物として考えるところから生れて来るのである。
    ところが,アイヌに於てわ,木や草わ植物でわない。
    少くとも,われわれの用語の意味に於ける植物でわないのである。
    アイヌの考え方に従えば,獣や鳥や魚や虫が神であるように,木や草もまた神なのである。
    彼等わ神の国でわ人間と全く同じで,人間の姿をして人間と同様の生活を営んでいる。
    家族もあり,部落もある。
    アイヌの植物名に,「アハチャ」(aha-acha ヤブマメ・伯父) とか,「コニフチ」(komni-huchi カシワ・婆) とか,家族関係を表わす語の附いている例を見いだすのわ,彼等にも家族があるとゆうアイヌの考え方を示すものである。
    また「カシワ婆」とゆうのわ,年老いたカシワの大木を云うのであるが,そうゅう大木の特別に大きいものを「シ・コタン・コン・二」(si-kotan-kon-ni 大きな・部落を・領する・木) と云う。
    つまり酋長みたいに考えているのである。
    彼等わ人間と同様の身体をもつ。
    それで,その身体の各部にも人体と同じ名が附けられ,
      根を「足」(kema,chinkew) と呼び,
      技を「手」(tek,mon) と呼ぴ,
      幹を「胴」(tumam) と呼び,
      皮部を「皮」(kap) と呼び,
      木質部を「肉」(kam) と呼ぶ
    のである。
    彼等わ人間同様に髭を生やしたり,なめし皮の衣を着たり,弁当を持ったりする。
    それで,
      サルオガセを「木の髭」と呼び,
      カプトゴクを「木の革衣」と呼び,
      ヤドリギを「木の弁当」と呼ぶ
    のである。
    彼等わ人間的な行動もする。 それで,
      立木を「アニ」(as-ni 立っている木) ,
      青草を「アワキナ」(awa-kina 坐っている草) ,
      まがり木を「ホックニ」(hotku-ni 腰をかがめている木) ,
      倒木を「サマゥ二」(samaw-ni 寝そべっている木)
    と云うのである。
    アイヌの植物名に,
      「放屁する木」(キクコプシ) だとか,
      「放尿する草」(ツリフネソォ) とか
      「お尻に糞をつけている木」(エゾ二ワトコ) だとか,
    生理的な行為にもとずく名称の見いだされるのも,植物に対するアイヌのアニミスティックな考え方の現われなのである。
    そうゆうアニミスティックな考え方に立つのでなければ,アイヌめ植物名の本当の理解わ不可能である。


    (3) 雅語
      金田一 京助 (1936), pp.9,10
     文学の起原は、詩だ、散文だ、と喧しく論議せられることであるが、此もアイヌ生活に於て見る限りは、改まった調はすぐに律語に収まり、節附けになって宛然歌の形で表現される。
    祝儀・不祝儀の辞令、酋長同志の曾見の挨拶など、そのほか、日々の祈禱の詞もさうであり、炉ばたの昔譚でさへもさう。
    況んや神々の長い物語や、祖先の英雄の武勇伝などもみなさうである。
    甚しきに至つては裁判事件のやうな騒ぎの論判でさへも雅語で述べられ、吟詠の姿を取るものである。
    いはば、実用の談話以外の言語表現は、皆節附きだと云ってよい。
    此の事は、意見でも、論議でもなく、ただありのままな目前の事実である。

      久保寺逸彦 (1956), pp.2-5
    アイヌ語にも、日常語 (口語) と一種の雅語 (特に、叙事詩においてよく発達している) との別を生じた。
     ‥‥‥
    雅語は、日常語を、「普通の言葉 yayan-itak」と呼ぶのに対して、「飾った言葉 a-tomte-itak」と呼ばれ、また「神々の言葉 kamui-itak」であると信じられていた。
    雅語の用いられる場合を挙げれば、
     (1)  正式の会釈・会見の詞 Uwerankarap-itak、
     (2)  神禱の詞 Kamui-nomi -itak、
     (3)  誦呪の詞 Ukewehomshu-itak (悪魔祓いの際、神々や人々に対して、あるいは、互いに恙なきことを祝福し合う際などに用いられる)、
     (4)  談判の詞 Charanke-itak、
     (5)  詞曲の詞 Yukar-itak
    等がそれである。

      久保寺逸彦 (1956), pp.6,7
    アイヌの日常口語は yayan-itak (常の言葉)と呼ぶほかに、rupa-itak (散語)ともいわれるのに対して、雅語の方は sa-kor itak (律語)とも表現されることは注意すべきことである。
    rupa-itak というのは、原義 ru (融ける) pa (口) itak (語・言葉) と分解され、融けてばらばらな言葉、すなわち散語・散文の意となる。
    sa-kor itak の方は、原義、sa (節調) kor (持つ) itak (語・言葉) で、律語・韻文の意となる。
     ‥‥‥
    雅語をもってする場合の、
      会釈の詞 Uwerankarap-itak、
      神禱の詞 Kamui·nomi-itak, Inonno-itak、
      誦呪の詞 Ukewehomshu-itak、
      談判の詞 Charanke-itak、
      詞曲の詞 Yukar-itak
    などは、‥‥‥
    「節付けの語 sa-kor itak」をもって表現されるから、‥‥‥
    一種の歌謡とも見うるものなのである。
    だから、‥‥‥ 五線譜の上に載せることも可能なのである。
    葬式の際、司祭者となった長老が、野辺送り(出棺)するに先立って、死者に対して与える「告別の辞 Iyoitak-kote」などというものを聴くと、一句一句、首尾一貫して、立派な雅語の叙事詩形をとり、悠揚迫らざる節調をもって、朗々として述べられていくのには、驚嘆せざるを得ない。

      久保寺逸彦 (1956), pp.7,8
    「談判 (Charanke) の詞」なども、おのおの部落 kotan を代表する雄弁をもって鳴る者が、相対して、落ち着き払って、さながら謡曲を謡い、浪曲でも語るように、太く重々しい声調で吟詠して、一句一句、婉曲に、相手の非を責めていくものである。
    しかも驚くべきことには、徹頭徹尾、神話や故事の知識を背景として、美辞と麗句の応酬が幾時間も、あるいは夜を徹しても、時としては数日にわたっても続けられていくことである。
    かくして、ついに理屈につまるか、あるいは気力の上で相手から圧倒されてしまうか、体力的に疲労しつくした方が敗けとなり、勝った相手の要求するだけの賠償 ashimpe を取られて(けり)がつくので、いわば、一種の歌の掛け合いとも見られるものである。 ‥‥‥

    [狩猟域 iwor のことで談判する中の一節]
      Shine metot
    e-we-turashp
    a-usamomare
    a-kor pet ne yakun
    shine hapo
    uren toto
    e-shukup utar
    korachi anpe
    a-ne wa shir-an.
      同じき水源の山へ
    川伝ひに溯り行き
    相並び合ふ
    我等が川なれば
    同じ慈母の
    両つの乳房
    もて育ちたふ
    さながらの
    我等にあらずや。


    引用文献
    • 金田一 京助 (1936) :『アイヌ叙事詩 ユーカラ』, 岩波文庫, 1936.
    • 知里真志保 (1953) :『分類アイヌ語辞典 第1巻 (植物篇)』
        所収 : 『知里真志保著作集 別巻 1 (分類アイヌ語辞典 植物編・動物編)』平凡社, 1976.
    • 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
      • 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977