アイヌは,つぎのようなものではない:
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知里幸惠 (1923),「序」
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.‥‥‥
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しかし,ひとのアイヌ観は,ずっとこれと同じである。
こうなってしまうのは,「実際は?」の問いがあることに,考えが及ばないためである。
アイヌ文化の要素のうちには,アイヌの自前にならないものがある。
例えば,アイヌの衣装を考えよ。
アイヌ衣装はアイヌ文化の要素である。
この衣装は,裁縫・刺繍されている。
そして針と糸は,アイヌの自前ではない。
──鉄,綿素材の品はすべて,アイヌの自前ではない。
註: |
つぎのアイヌの図は,アイヌの自前にならない品々が可能にした図である:
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村上島之允 (1809)
木を伐り,舟を彫る
雑草を刈って,畑をつくる
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自前にならない物を得る方法は,交易である。
松前藩統治下では,運上屋が交易所になった。
運上屋は,和人とアイヌのインタフェースの意味をもつ。
実際,アイヌについての文書記録は,ここを中心・起点にして発生する。
運上屋はさらに,アイヌに仕事を与えるものになる。
アイヌは,これに応ずる。
生活を安定化することになるからである。
註: |
ひとは狩猟採集生活を「美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活」のように思うが,そうではない。
狩猟採集生活は,自然に翻弄される不安定な生活──苛酷な時節をともにする生活──である。
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かくして,運上屋を知らずしてアイヌを知ることはできない。
引用文献
- 村上島之允 (1809) :『蝦夷生計図説』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.545-638.
- 函館市中央図書館デジタル資料館『蝦夷嶋図説』『蝦夷嶋図説 2』
- 知里幸惠 (1923) :『アイヌ神謡集』, 郷土研究社, 1923.
- 岩波書店 (岩波文庫), 1978
- 青空文庫 (http://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909_29558.html)
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