Up 交易 作成: 2018-12-24
更新: 2019-11-28


    (1) 運上屋=交易所
    運上屋は,アイヌに対し交易を持ちかける立場である:
      「これこれを生産してここに持ってくれば,これこれと交換する」

島田元旦 (1799)


      高倉新一郎 (1966), pp.47-49
    運上屋と呼ぶ交易所が設立され、交易はそこで常時行われるようになった。

      高倉新一郎 (1974), p.138
    アイヌとの交易は後に、一定の運上金を納入することを約束して、この交易の実務に当たる場所請負人と呼ぶ商人の手に移り、
    商人は支配人・帳役・通詞 (アイヌとの通訳に当たるもの)・番人 (支配人・帳役の指示によって働くもの) などを派遣し、
    要所に運上屋と呼ぶ交易所、番屋と呼ぶその出張所を建て、
    アイヌの欲するものと物々交換をした。
    その際にもオムシヤは引き続き行なわれ、
      アイヌと和人が貸借を精算し、交歓する
    年に一度の大行事となって、明治初年の場所請負制度の廃止にと及んだ。

      同上, p.139
    こうして得た交易品は松前に輸送され、松前産の商品と共に本州の商人に販売された。
    毎年春になると諸国の商人が松前での必需物資を船積みして松前に来航した。
    藩はこれらの荷物を問屋を通じて売買させ、北海道からの生産物も同様にして、その売上げから一定の歩合で役銭をとった。 これを沖の口役銭といって、松前落の有力な財源であった。


    (2) 「運上屋に雇われる」の意味
    「アイヌが運上屋に雇われる」──この表現は現代人にはミスリーディングである。
    アイヌは運上屋で仕事をするわけではないからである。
      串原正峯 (1793), p.491
    (さて) 夷とも改を請て水海鼠を我家々々へ持行、
    または濱邊にても
    直に大鍋に湯を涌し、引揚たる儘にて鍋へ入しばらく煮る。
    煮上りて是を引上、長壹尺斗の串を(こしらえ)
    夫へ十つゝ串柿のごとくに通し、
    十本 [10 × 10 = 100] を一連として圍爐裡の上へ釣し、
    四、五日も乾し上け、又は日當りにでも干すなり。
    十連にていりこ数千なり [100 ×10 = 1000]。
    束となして會所へ持来る。

島田元旦 (1799)


    運上屋は,アイヌに対し交易を持ちかける立場である:
     「これこれを生産してここに持ってくれば,これこれと交換する」

    出来高払いであるから,アイヌは働き具合を自分で決めることになる。
    また,その働き具合に,能力格差が現れることになる。
    実際,乙名等の役に就かされるアイヌは有能を以てその役に就かされるわけだが,有能なアイヌを見出す場に運上屋がなる。


    (3) 交易の様子
      串原正峯 (1793), pp.494,495
    交易をなすに、夷とも會所へ来りて、
    たとえば煎海鼠百出しアブラシャケと望めは、清酒三盃遣す。
    但壹盃といふは貳合五勺入椀にて斗るなり。
    タンバコと望めは、烟草壹把にいりこ百五十なり。
    烟草壹把をタンバコ、シネムイといふ。
    又いりこ百出し又ヤゝカンと望めば、耳環壹(さげ)遺す。
    米をアマゝと云、
    (にごりさけ)をシラリコルシャケといふ。
    飯をシユケアマゝと云。
    紺木綿をセンガキ、
    白木綿をレタレセンカキ、
    海鼠引かねをウタヤカニ、
    鯖差 サバサシとは小刀の少し大なる魚の腹わたをとる庖丁なり をイビリケ、
    皮針をルエケム、
    小針をアネケム、
    耳環をヤゝカニ、
    鴨々 カモ/\といふは曲ものにて,黒く又は赤く塗り,夷用に仕込み,出羽の坂田にて造る。 にアツシ、
    網羽縄 アバなわといふは夷網に遣ふ をツシ、
    壹俵をシネタワラ、
    壹樽をシネシントコ、
    壹把をシネムイ、
    椀に一盃 但し二合五勺入 シネイタギといふ。
    荒方此趣なり。
    宗谷交易定直段左に記すなり。‥‥‥
    右の振合にて少しつゝの交易も夫々に交易いたし遣す事なり。
    諸方より海鼠引夷 尤も宗谷支配の夷ともなり ((宗))谷へ集りたる節は、
    會所へ三十人、五十人一所に詰かけ、
    段々云込て、海鼠引漁事を引當に、飯糧又は米、麹、酒、たばこ、煎海鼠引道具等入用の品其外前に書記したる品ともを借請る事にて、
    餘り大勢にて混雑する時は、シマコライ/\と呼はり、外へ追出し、次第々々に貸遣す事なり。


    (4) 交換比率
      高倉新一郎 (1974), pp.138,139
    交易は相対で行なわれたが、長年繰り返されている間に慣習ができ、交換比率も重要な商品、たとえば鮭・米などを基礎としてやや一定するに至った。
    米は、古くは不明であるが、天明 (1781〜1789) ごろには八升 (約14.4 リットル) 入りが一俵となっていた。
    交換比率は、寛政二年(1790) 当時、米一俵につき生鮭五束、干し鮭は七束だったという。
    一束は二〇尾でアイヌの干し魚の交易単位であった。
    アイヌは二十進法を使ったことと関係があるものと思われる。

      串原正峯 (1793), pp.494.495
    宗谷交易定直段左に記すなり。
    八升入米壹俵に付、
    六束 但鯡貳拾を壹連といふ。拾連を壹束と云なり。
    煎海鼠(いりこ) 五百
    五束 但二拾本を壹束といふ。
    拾五、六束 但右同斷 相庭 [相場] 年により少し違いあり
    干鱈 六束 但右同斷 
    鮭アダツ
    鱒アダツ
    數子
    三樽 但貳斗樽
    白子(しらこ) 三樽 但貳斗樽
    笹目 六樽 但貳斗樽
    椎茸 六百
    トド皮 壹枚
    水豹皮 三枚
    反アツシ 三枚
    手幅付アツシ 貳枚
    アプスケ 六枚 葭簀(よしず)の事なり。
    キナ 三枚 但夷苫の事なり。
    右の外
    魚油 貳斗入 壹樽 代米 八升入 三俵
    熊膽(くまのゐ) 一つに付 同 拾四、五俵より貳拾俵位
    十徳(じっとく) 代魚油にて貳斗入三樽より見合
    同中品 同三樽半より五、六樽迄
    同上品 同 八樽迠見合
    段切(だんきれ) 五尺に付 貳樽
    鷲粕尾(わしかすお) 壹把 同 壹樽より壹樽半
    薄氷(うすべう) 同 貳樽より四樽位迠
    眞羽(まば) 同 五樽より拾樽位迠
    唐太烟草 代酒五、六盃より小樽壹つ位
    右は油にて交易((値))段記すといえとも、油の代り米にて渡す。
    前に有ことく油壹樽は八升入米三俵なり。
    八升入米壹俵價の交易の品左のことし。
    小樽 四升入壹つ
    (にごりざけ) 四升入 貳つ
    濁酒 四升入 貳つ
    煙草 三把
    田代(たしろ) 出刃鉋丁
       の事なり
    壹枚
    間剪(まきり) 六枚
    爽椀 六つ
    煙管 三本
    七升入 壹俵
    鴨々(かもかも) 大小 壹組
    耳環 六提
    火打 六枚
    右の外
    酒桶 大 壹つ 油 貳斗入 三樽當り
    小 壹つ 同 貳樽當り
    古手 壹枚 同 三樽より四樽迠
    米八升入五、六俵より拾俵迠
    皮縫針 烟草一把に付十二本に當る
    小針 同斷に付 貳拾四本に當る
    木綿糸 同斷に付 貳拾四繰
    [紺]木綿 壹反に付 八升入米三俵に當る
    白木綿 壹反に付 同斷 貳俵半に當る
    (まさかり) 壹挺 同斷 貳俵に當る
    (ほかい) 大小 同斷 貳、三俵より五、六俵いろ/\あり。
    海鼠引かね 壹掛 烟草壹把に當る。


    (5) アイヌの数量表現
      串原正峯 (1793), p.514
    夷、貸付差引勘定の時、假令(ば)鯡七束七連といふ事を、
    へロキ  [鯡]
    アルワン [七]
    テシ   [連]
    イカシマ [+]
    アルワン [七]
    シケ   [束]
    といふなり。
    へロキは鯡、
    アルワンは七、
    テシは連なり、
    イカシマは其上にてといふ事、
    アルワン・シケ
    は七束なり。
    右のことくアルワン・テシ・イカシマ・アルワン・シケと通辭其夷に云聞るに、其夷は
    アルワン [七]
    テシ   [連]
    エ    [一つ引]
    ツベサン [八]
    シケ   [束]
    なりといふ。
    是も譯すれば
    アルワン・テシは七連、
    ヱ・ツベサン・シケは八束の内一束引といふにて、ツベサンシケは八束なり。
    上にヱと付ていふ時は、一つ引といふ事、則ち七束なり。
    ヶ様に七束七連をいひ様によりていろ/\にいふ事なり。
    其夷通辭が言をとくと聞請ず、自分の思ふ所をいふゆへ、矢張同じ數なれとも違ひたる様に脇よりは見ゆるなり。
    其夷と並びて居たる夷は脇に居て早く呑込居たるゆへ、側より其夷にいふには、此方のいふのも親方のいふも同じ数なりといふて笑ひたり。
    かくいわれて考付たるや、成程左様なりと呑込たり。
    右七束七連を夷言にいふ時は四通りに云るゝなり。
    左のごとし。
    蝦言に連をテシといふ、束をシケと云。
    都て端したの小敷より先へいふなり。
    [七連 其上に 七束 = 七束七連]
    アルワン 七
    テシ   連
    イカシマ 其上に
    アルワン 七
    シケ   束
    [七連 (一つ引・八)束 = 七束七連]
    アルワン 七
    テシ   連
    ヱ    一つ引
    ツベサン 八
    シケ   束
    [八束 なき 三連 = 七束七連]
    レ    三
    テシ   連
    ヘナキ  なき
    ツベサン 八
    シケ   束
    [(二 其上に 小)連 (一つ引・八)束 = 七束七連]
    ツ    二
    テシ   連
    イカシマ 其上に
    ホン   小
    シケ   束五連の事
    ア[ヱ] [一つ引]
    ツベサン 八
    シケ   束


    引用文献
    • 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
    • 島田元旦 (1799) :『蝦夷紀行図 下』
    • 高倉新一郎 (1966) :『蝦夷地』, 至文堂, 1966.
    • 高倉新一郎 (1974) :『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974