Up アイヌ政策から「アイヌ利権」政策へ 作成: 2019-11-25
更新: 2019-11-25


    "アイヌ" 政策は,アイヌ終焉期のアイヌ救済から始まる。
    これまでの生き方ができなくなって困窮するアイヌの救済である。
    そしてその救済の内容を定めたのが,『北海道旧土人保護法』(1899),「旧土人児童教育規程」(1901) である。
    この二法は,「アイヌ救済法」を性格とするものである。

    「困窮」は,つぎの世代── "アイヌ" ──の問題にもなっていく。
    しかし,同化の進行のなかで,"アイヌ" 間に格差が出来ている。
    "アイヌ" 一律の手当という方法は立たない。
    こうして,適当な機関・団体に手当金をまとめて交付し,その機関・団体に以降の配分を任せる,という方法が採られることになる。

    この方式は,自ずと利権──「アイヌ利権」──を生む。
    そして "アイヌ" 政策は,以降,「アイヌ利権」政策となる:


     1.  「手当」は,次第に名分が立たなくなる。
    ひとは自立を自己責任にして生きている。
    "アイヌ" を特別なものにしておくことはできない。

    「アイヌ利権」は,交付金を無くされないために,交付金の意味を「手当」から別のものに変えることを考える。
    これは,結果として, 「アイヌ文化振興」になった。
    (最初から「アイヌ文化振興」を立てたわけではない。)

    交付金は,根拠法とセットである。
    「手当」は,『北海道旧土人保護法』が根拠法になっていた。
    運動は,新しい法をつくることがこれの内容になる。

    この運動の前面に,政治"アイヌ" が立つ/立たされる。
    そして色々曲折がありつつも,『アイヌ文化振興法』が成る (1997)。


     2.  「アイヌ利権」の運動は,これでお終いとはならない。
    利権の運動は,拡大スパイラルである。
    (「その場にとどまるためには、走り続けねばならない」)
    取り組むことは,交付金の高額化を実現する「アイヌ法」の実現である。

    そしてこの間,うまいことばと出遭っていた。
    「民族」である。
    「民族保護」にすれば,大規模予算が見込める。
    そこで,国連を引き合いに出すなどして「アイヌ=北海道先住民族」を認めさせる運動を行う。 そして『先住民族法』(2019) に至るというわけである。


     3.  『先住民族法』は,「保護法」を性格とする。
    しかしこの法は,「保護法」として運用できない。
    「アイヌ民族」という実体が存在しないからである。

    そして,時代は「コンプライアンス」である。
    馴れ合い・丼勘定で適当な機関・団体に交付金を渡すという旧来のやり方は,もはや立たない。

    こうして『先住民族法』を根拠法にした交付金は,これまでと同じく「アイヌ文化振興事業」への交付金以上にはならず,しかも一層管理されたものになる。
    そして「アイヌ利権」は,「アイヌ文化振興事業」を「アイヌ観光事業」のことにしていく。

    "アイヌ" にしても,この形の他は求められない。
    「アイヌ民族」という実体が存在しないからである。
    "アイヌ" は,アイヌ観光事業のアイヌ役営業員に自らをなしていく。