1. |
「手当」は,次第に名分が立たなくなる。
ひとは自立を自己責任にして生きている。
"アイヌ" を特別なものにしておくことはできない。
「アイヌ利権」は,交付金を無くされないために,交付金の意味を「手当」から別のものに変えることを考える。
これは,結果として, 「アイヌ文化振興」になった。
(最初から「アイヌ文化振興」を立てたわけではない。)
交付金は,根拠法とセットである。
「手当」は,『北海道旧土人保護法』が根拠法になっていた。
運動は,新しい法をつくることがこれの内容になる。
この運動の前面に,政治"アイヌ" が立つ/立たされる。
そして色々曲折がありつつも,『アイヌ文化振興法』が成る (1997)。
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2. |
「アイヌ利権」の運動は,これでお終いとはならない。
利権の運動は,拡大スパイラルである。
(「その場にとどまるためには、走り続けねばならない」)
取り組むことは,交付金の高額化を実現する「アイヌ法」の実現である。
そしてこの間,うまいことばと出遭っていた。
「民族」である。
「民族保護」にすれば,大規模予算が見込める。
そこで,国連を引き合いに出すなどして「アイヌ=北海道先住民族」を認めさせる運動を行う。
そして『先住民族法』(2019) に至るというわけである。
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3. |
『先住民族法』は,「保護法」を性格とする。
しかしこの法は,「保護法」として運用できない。
「アイヌ民族」という実体が存在しないからである。
そして,時代は「コンプライアンス」である。
馴れ合い・丼勘定で適当な機関・団体に交付金を渡すという旧来のやり方は,もはや立たない。
こうして『先住民族法』を根拠法にした交付金は,これまでと同じく「アイヌ文化振興事業」への交付金以上にはならず,しかも一層管理されたものになる。
そして「アイヌ利権」は,「アイヌ文化振興事業」を「アイヌ観光事業」のことにしていく。
"アイヌ" にしても,この形の他は求められない。
「アイヌ民族」という実体が存在しないからである。
"アイヌ" は,アイヌ観光事業のアイヌ役営業員に自らをなしていく。
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