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荒井源次郎 (1984), p.102
北海道を訪れる観光客はきまって観光アイヌ地を訪れる。
そこには見世物的自称酋長と古風なアイヌの家屋が見られる。
今日では市町村までがこれらの偽酋長をしていわゆる官製観光アイヌというか、広く宣伝に利用しその利益を得ているのが実状で、自称酋長の勢力にますます拍車をかけている。
もちろん偽酋長これに追従する観光アイヌたちにしても、所詮生きんがために選んだ職業に外ならないが、しかしこうした一部ウタリ (同族) の所業から多くのウタリは著しく迷惑を蒙っていることから、利害の相反するウタリの両者が相反目しいざこざが起きるのは当然なことである。
〈『北風林』第八号 昭和五十五年八月二十日〉
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しかし「偽」「自称」を言い出せば,お互い様ということになる。
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鳩沢佐美夫 (1970), pp.187,188
で、そういったことでさ、この町 [平取町] 内のとある地区 [二風谷] がね、今、着々とそのアイヌ観光地として売り出そうとしているんだ。‥‥‥
なぜ、景勝や古蹟の乏しい山林に、こういった特殊施設を、アイヌ自ら、しかも今日の時点において作ろうとするのかね──。
そのことを彼たちに質すと、「アイヌがやらなければ、悪質なシャモ (和人) が勝手にアイヌの名をかたり、金儲けをするから」と言う。
「じゃ、そういう悪質シャモの排除にこそ努めるべきでないか?」ときくと、「われわれも、そのことで潤っている」──。
つまり、観光のおかげで部落もよくなり、業者からピアノも贈られた (小学校)。
何十万とかの寄付もあった──と、並ベたてられる。
「今それをやめろというのなら、じゃわれわれの生活をどう保障する」と逆襲さえしてくる始末。
そして、ね、これまで自分たちは観光業者に利用されて各観光地に立っていた。
だから、どうせやるんなら、そんな他所の土地で、シャモに利用されるんでなく、自分たちの部落でやったほうがいいのだ──という割切り方。
しかもだよ、ジョークなのか、アレゴリーなのか、昔はアイヌといって、われわれはバカにされた。
今度はひとつ、われわれアイヌを見にくるシャモどもをふんだまかして、うんと金をまきあげてやる。
「なあに、適当なことをやって見せれば、喜んで金を置いていくからな」‥‥‥。
ね、ドライというか、くそくらえバイタリティというか、とにかく、見上げたショーマンイズム──。
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佐々木昌雄 (1971), pp.111-114
この映画は、「この春突然、アイヌ式の結婚式をやりたいといい出した」「ヒロイン」に動かされた人々が、「明治生れのアイヌの古老さえ」「見たことがない」ので、「アイヌ人のアイヌ研究家」「の見聞と、ユーカラ、ウェぺケレなどの伝承をもとにして、徐々に」「再現」したものだという。
‥‥‥
問題は、「アイヌ式の結婚式」を行なうことは「アイヌの文化を主体的に継承」することだ、という論理である。
‥‥‥
かつての共同体、かつての信仰、かつての言語をぬきにして、「アイヌの文化」が、今どこにあるというのだろうか。
あるのは形骸だけだ。
無いものを「継承」することなど、したくともできないのが、現在の「アイヌ」である。
また、「主体的に継承」すると言うのだが、これも奇妙を書き方である。
どうやら七面倒な理屈をこねくりまわして「主体的」と書いたわけではなく、たぶん、「おのれみずからの意志で」とか「自分の考え方・思想にもとづいて」ぐらいの意味なのだろう。
そういう語義ならば、直ちに異議を唱えうる。
「文化」が、一人の人間の「みずからの意志で」「継承」されることなどありえないからである。
ある共同体が荷ってきた「文化」を、もし一人の人間が荷担できるのなら、北海道の観光地で「アイヌの木彫り」なるものを制作し販売している者たちによって、「アイヌ式」の「文化」が「継承」 されていることになる。
(正しくは、キムン・カムイの宿体である熊の姿を彫るのは禁忌にふれる。「アイヌの木彫り」はかつてのアイヌとは無縁である。)
「主体的」と「文化」の「継承」とは、一つのセンテンスの中で結びつきようがない。
以上を要するに、
今はないかつての「アイヌ文化」を「再現」し記録すること自体は、各々の勝手な仕事であり、そのことだけなら文句を付ける所以はない。
また、その「再現」者・記録者が、いかなる「決意」を抱くことも可能だ。
自分は「主体的に継承」しているのだと心中密かに思い込むことも恣意としてある。
だが、自ら「アイヌの文化」の「継承」者などとは僭称するな。
もはや「アイヌの文化」は埋れた死体である。
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砂澤チニタ (2009)
私は昔から「アイヌはやったもん勝ち」という言葉を引用してきた。‥‥‥
このような安易で短絡的な生き方は若年層にも及び、自分の祖父、祖母への差別をあたかも自分のことであるかのように訴える者、半狂乱でラップを叫び、踊り狂う者、突然「民族」に目覚めてアイヌミュージシャンとしてうごめく者、アイヌ文様をモチーフとするデザイナーなどと、もう何でもありの、まさに「アイヌはやったもん勝ち」の世界が作られてしまった。
研究者やマスコミが「アイヌ」であることだけで、個人の資質、意識、思想などを見極めることもなく持ち上げてくれるのだから、こんな楽な生き方はなく、自称「アイヌ」が再生産されていくのも頷けるというものだ。
一体何を根拠に「アイヌ」と認定されるのか、誰がそれを認定するのか、自称すれば誰でも「アイヌ」になれてしまうものなのかなど曖昧模糊としたままである。
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引用文献
- 荒井源次郎 (1984) :『アイヌの叫び』, 北海道出版企画センター , 1984.
- 鳩沢佐美夫 (1970) :「対談・アイヌ」,『日高文芸』, 第6号, 1970.
『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995. pp.153-215.
- 佐々木昌雄 (1971) :「映画「アイヌの結婚式」にふれた朝日新聞と太田竜」, 『亜鉛』, 第12号, 1971.9.
『幻視する<アイヌ>』, 草風館, 2008, pp.105-123
- 砂澤チニタ (2009) :「個を喪失し「アイヌありき」で生きる矛盾と悲劇」, 北方ジャーナル 2009-07
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