Up 後継者問題 作成: 2017-01-13
更新: 2019-10-26


    "アイヌ" の進化は,イデオロギー期を過ぎて,いまは「アイヌ観光」期である。
    ここで「アイヌ観光」は,従来の自営のものと,官製法人の事業のものの,二つになった。
    "アイヌ" は,このいずれかで「アイヌ」を務める者のことになる。
    "アイヌ" の多様性は,ここに一挙に狭まった。
    "アイヌ" は,自分の将来を「アイヌ観光」の景気に託する者になった。
    そして,「アイヌ観光」の「アイヌ」役が確実に "アイヌ" に割り振られることを,頼みとする。

    事業者は,「アイヌ」役を務める "アイヌ" の確保が課題になる。
    「アイヌ」イベントで一般者に「アイヌ」を演じさせることは,その場は済んでも,「アイヌ民族」の存在をますます疑わせることになる。

    "アイヌ" 確保の課題のうちに,"アイヌ" 後継者の養成がある。
    後継者養成がうまくいかないことは,「アイヌ民族」の存在しないことを暴露してしまうことである。

    後継者養成のいちばんの問題は,"アイヌ" がこれを課題にするかというところである。
    事業者の都合は "アイヌ" 個人の都合とは違う。
    この時代には,一般に親は自分の生き方を子に継がせようとはしない。
    子には自分の生き方を主体的に択んで欲しいと思うのが,今日の親だからである。

    "アイヌ" 後継者養成は,「アイヌ利権」には喫緊の課題だが,"アイヌ" の方は──よほど引っ込みのつかない格好に自分をしているのでなければ──この問題に深入りしない。
    実際,オルグ活動に精を出すようなことは,できないわけである。
    自分の子はどうなんだ」を返されることになるからである。

    しかも,今日 "アイヌ" であるとは,「アイヌ振興事業」の「アイヌ」を演じることを仕事・責務として負うということである。
    テレビ番組取材がやってくると,「ウポポ」「鶴の舞」「機織り」などを披露する。「普段の生活の中にこれがある」をほのめかす。
    "アイヌ" は,この役割に満足するわけではない。
    役を務めるとは,葛藤を押し殺して役を務めるということである。
    役を務めるのは,成り行きからである。
    この "アイヌ" に後継者供出を期待することはできない。