Up 『アイヌ民族誌』/更科源蔵 作成: 2017-03-06
更新: 2017-03-27


      Wikipedia 「チカップ美恵子」
    1969年に出版された『アイヌ民族誌』(第一法規出版)で、少女時代に映画撮影でとられたアイヌ民族衣装のいでたちの顔つき写真が無断で使われ、見出しに『滅び行く民族』という語句がつけられた。
    このことを知ったチカップ美恵子は、そのページの著者の更科源蔵らに抗議する。
    満足する謝罪は得られず、1985年に札幌地方裁判所に提訴、『アイヌ民族肖像権裁判』として知られるようになる。
    その年に、更科源蔵は死去するが、出版社と監修者を相手に、裁判を継続する。
    1988年に、チカップ美恵子への謝罪、その他の条件で和解となる。

    ここで,「その他の条件」とあるのは,賠償金および公開謝罪を指す。
    (現代企画室編集部編『アイヌ肖像権裁判・全記録』現代企画室, 1988.)


    出版社は,もともとと事なかれ主義である。 言論の自由を重く感じることを出版社に期待するのは,無理である。
    監修者は,「とばっちりを受けた」の思いを強くする者であり,「謝罪・和解」も形式的なものになるから,これでさっさと済ませようと思う者になる。 やはり,言論の自由を重く感じることを期待するのは,無理である。

    この事件の教訓は,民族主義"アイヌ" から言論の自由を守る羽目になった者は,その戦いの途中で死んではならないということである。