Up 「アイヌ協会」 作成: 2019-10-21
更新: 2019-10-21


    「アイヌ代表」ということで立っているいちばん大きな "アイヌ" 組織/団体は,アイヌ協会である。
    ひとも,アイヌ協会を「アイヌを代表する組織」と思っている。
    事実は,もちろんこうではない。
    この場合の「アイヌ」は,アイヌ協会の「この指とまれ」にとまった者のことである。

    このことは,アイヌ協会の起ち上がりのところから追跡してみると,よくわかる。
    以下は,その起ち上がりの様子である:

      高橋真 (1946-03-01), p.237
    "アイヌ協会" 創立
    ウタリーの先覚者向井山雄、森竹竹市、鹿戸才登の諸氏を中心に、道庁の音頭取りで『社団法人アイヌ協会』設立の準備が進められてゐたが二月二十四日予定の如く静内町で道庁池田嘱託外同族多数出席の下に創立総会が開催された。

      高橋真 (1946-03-11), p.239
    アイヌ協会の役員と予算
    本紙第一号所載の如く二月二十四日静内町で「教育の高度化」及び福利厚生施設の協同化、共有財産の造成及其効果的運用、農事の改良、漁業の開発等を目標に「社団法人北海道アイヌ協会」が誕生したが三月三日これが許可申請書を小川佐助氏によって留岡道庁長官に提出された。
    役員及予算左の通り。
    理事長 向井山雄(伊達)、
    副理事長 吉田菊太郎(十勝)、鹿戸才斗(門別)、
    常務理事 小川佐助(浦河)、
    理事 文字常太郎(大岸)、森久吉(登別)、去間弁次郎(様似)、江賀寅三(静内)、淵瀬惣太郎(新冠)、貫塩喜蔵(白糠)、川村兼登(近文)、幌村運三(三石)、清川正七(平取)、知里高央(登別)、門別喜門(門別)、
    監事(常任) 森竹竹市(白老)、辺泥和郎(鵡川)、平村勝雄(平取)、
    参与 知里真志保(登別)、大川原コビサントク(鵡川)、
    顧問 斉藤忠雄、坂東秀太郎、渡利強
    予算は会員二千余名より徴収の一万円と篤志寄附一万九千二百円 計二万九千二百円とし、事業費、人件費、事務費、教育費、機関誌発行費等に使用される。 以上

      高橋真 (1946-09-01), pp.264,265
    アイヌ協会代議員会白熱的討議で終了す
    社団法人北海道アイヌ協会定期代議員会は八月十九日午後二時より北海道会議員室に於て向井理事長以下吉田、鹿戸両副理事長、小川常務、文字、森、去間、淵瀬、江賀、貫塩、川村、清川、知里、門別の各理事及び森竹常任、辺泥、平村の各幹事、道庁より渡利厚生課長能登事務官池田和美氏、特に在札進駐軍情報係将校等臨席の下に十九支部代議員、正副支部長等八十余名参集の下に開催された。
    先づ向井理事長の挨拶に次で小川常務の諸報告あり、各支部代議員より、予算、事業、各部の業務、協会の運営等に質問あり、本部側之に答弁、終って各支部提出の六十余件の事項の白熱的審議に入ったが、時聞が短い為本部側の具体的な応答が与へられず、支部側は満足出来ず夜となり、結局道農倶楽部(宿舎)に午後九時続会したが、これも時間の都合で充分ではなかった。
    然し十年振りのアイヌ大会だけに一同は非常に張切ってゐた。

      高橋真 (1946-10-15), pp.266
    十勝アイヌ協会 成立
    九月二十三日、十勝商工奨励館で開催された十勝アイヌ協議会の席上十勝アイヌ協会が結成される事となり、近く之が創立総会が聞かれる。
    目下内定中の役員其他は左の知くであるが、十勝アイヌ協会の目的は同族の団結と親睦を密に和人との融和を保つのにある。
    会長吉田菊太郎、幹事中山孫一郎、中川道明、山川勝政、三浦房治、沢井初太郎、小野清吉、清川勝市、広野守、山田所、顧問古屋支庁長、飯島弁護士。

      高橋真 (1946-10-15), pp.266,267
    足踏するアイヌ協会
     資金難で悩む役員達
      同族よ真の団結せよ
    全道一万七千人、三千五百戸の同族の福利向上を目指して社団法人北海道アイヌ協会の結成されたのは雪深き二月二十四日であった。
    あれから八ヶ月、二十に近い支部が出来、協会に依って同族は団結し、民主的自由に依り全同族の発奮が期待されてゐる秋、アイヌ協会が資金難の為に幾多の事業が足踏し、専任書記等も置けず、理事等は頭を悩ましてゐる。
    アイヌ協会の一大運動たる例の日高種馬、新冠御料牧場開放運動の為に小川佐助常務理事、丈{孟巾太郎理事、森久士口理事等が上京して来た費用も結局三氏が自費といふ結果になってゐる。
    協会経済部員の一人たる大川原徳右エ門氏は「僕が理事長であったら百万円位の資金をわけなく造成して見せる」と云ってゐるが然し大川原氏の手腕でも実現は不可能であらうと目され疑問とされてをり、一理事は協会を結成の際小川常務が資金は幾等でも集まると大言したのに今になってこんな実情ではどうもならん云々、小川氏は新円制になったので資金の造成が困難になったんだと称してゐるが、此の程道競馬協会から一万円を寄附して貰った。
    然し協会当面の資金としては直ちに十万円は必要で之が対策樹立に一苦労の形である。
    また全道一丸とするを目的としたアイヌ協会とは云へ実際は却々困難で今や「アイヌ協会の御料牧場開放運動に全同族の名を利用し一部役員の利権稼ぎである」と役員間にさへ悪評を買ふ等の誤解が生じたり、アイヌ協会を来るべき道会議員選挙の母体たらしめやうとしてゐる和人等、協会運営の害となるが如き理論屋のみが居たり実際真剣な役員は同情される程の活動を示してゐる。
    未だ支部発足の見ない集団的コタン(部落) は全道に大分あり、然も役員のみがゐる部落に限ってアイヌ協会の非民主振りを非難し、下からの盛り上る声によって役員を選ぶべきであったと云ひ、協会発足に際しての官僚的実情を暴路して居り、一方有名無実のアイヌ民族平和聯盟 (責任者川村三郎氏) へも非難の声が注がれてゐる。
    解散か?改組かアイヌ協会は嵐の中に立ってゐるが、民主化しないなら全員脱会するといふ支部、協会の発展を期待する支部等もあり、全同族の真の団結要望の声は見逃せぬものがある。
    (高橋記者)

      高橋真 (1946-12-06), pp.269
    十勝アイヌ協会創立総会
    一千人十勝アイヌの文化的向上と和人との融和を目指して十勝アイヌ協会の創立総会は十月二十五日午后一時から帯広市商工奨励館に於て開催、同族百余名参集、来賓十勝支庁長、帯広市長 (何れも代理)、社会党代議士森三樹二氏、飯島、笹原、河俣三弁護士。
    定刻経過報告の後吉田菊太郎氏議長に選ばれ、会則の朗読、役員の選衡で会長吉田菊太郎、副会長山川勝政 (芽室) 土田豊三郎 (池田) の諸氏と決定、森代議士等来賓の激励演説に同族は多大の感銘を深めた。
    総会終了後余興あり盛会であった。
    尚顧問は吉田会長より、古屋十勝支庁長、森代議士、斉藤米太郎氏 (教員)、大塚平覚氏 (幕別町長)、笹原、飯島、河俣三弁護士が選任された。


    引用文献
    • 高橋真 (1946) :『アイヌ新聞』, 1946-03-11〜12-06
      • 所収:小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』「アイヌ新聞」, 草風館, 1998. pp.234-276