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同上, p.83
一、アツケシ惣乙名イコトエ 人名 と云者、東地壹人の人物にて尤悪類なり。
人をも殺し、舊悪あるものにて器量もあり、居村其外場所々々にウタレ 家来のことなり と稱する夷男女五、六十人あり。
ポンマチ 妾のことなり 三十人程もあり。
御趣意の趣申諭しければ、ウタレの内無妻ものへ我が妾を夫々に分ち遣し、三人を残して寵愛す。
夷人寶と稱する物 刀,脇差し,袴,塗ものゝ類 澤山所持す。
是は松前家進退の節所々へ相越し、チヤアランケ 公事喧嘩のこと といふを仕掛て、メツカ打 是は樫木を以長さ四尺餘にして穂の方ふとく,いぼいぼを附る棒。是を以打たゝき合するを云。 と云をなし、負たる方より償に取りし由。
東地一番の寶持と稱する。
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引用文献
- 松田伝十郎 (1799) :『北夷談』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.77-175
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