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「佐留場所大概書」
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一 出張番屋 三ヶ所
内 壱ヶ所 七間に三間 会所より壱里西方信台に有。
壱ヶ所 同 同 会所より三里東方福生に有。
右弐ヶ所も漁業夷人に番人壱人宛差添、
二月中旬より罷越八月中旬引払。
壱ヶ所 六間に三間 別當狩に有。
右は三ッ石場所内え昆布刈取中沙留夷人出稼場也。
夏土用頃より夷人に番人壱人差添罷越、八月初め引払。
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一 蝦夷惣家数弐百三拾六軒 惣人数千拾三人
内 男五百三拾七人
女四百七拾六人
内 乙名役拾四人 小使弐人
一 夷人漁船 百五拾艘
産物
熊胆 熊皮 干鱈 干鮫 干鮊 魚油 煎海鼠 鯡
島鼠 鷲羽 椎茸 厚し 榀縄
此外雑魚もあれ共〆粕等に出来程は無レ之。
右産物出高毎年九百石目程、
三月末より七月頃迄箱館仕入物積下り船え積替登せ候。
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御用地以前は、ユウフツ場所内マゝツと申所え
佐留夷人毎年秋に至鮭漁致し来候処、
文化元子年よりマゝツえは不レ参、
ユウフツ附千年川の内にて漁場受取今に至り、
毎年頃より夷人を遣し鮭漁出稼為レ致、
干鮭箱館廻し御払に相成候上、
勇武津 佐留半に御収納相成候積り。
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一 文化四卯年より浦川場所へ昆布出稼仕、
取揚昆布箱館相廻し、
御払に相成候高の内、浦川 佐留半々の割合に御座候。
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一 サル川 船渡し 巾七拾間程 川守蝦夷番人
川源より川下迄里数凡四拾七里、
左右樹木生茂り断岩又平地の所もあり。
七月頃より鮭魚昇るといへ共至て少し。
小魚は尤多し。
十一月下旬より氷河と成。
春正月下旬には氷解船渡しと成。
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佐留場所は東北山、西南海、会所近辺高山なく用水も自由、薪となす雑木も多し。
春二月末に草木も漸々芽み、四月頃咲く。
夏土用中も暑気薄く、秋は八月中旬より霜下り、樹草黄み、冬は風烈敷故雪も積る事なし。
寒気もゆるやかに四季とも凌能き方也。
夷人業は
春は海辺へ出て釣物をなし、
夏は生海鼠を引、昆布を刈、
秋に至千年川鮭漁出稼致し食糧を貯へ、余分は干立て荷物に出し、
冬は山家へ帰り漁船又は網を拵へ、榀縄をなひ、
女は厚しを織、キナ筵を編み、
男女共春より秋迄漁業、
手透の節は粟、稗を作り、或は茎立の草 同根を刈取、魚へ交て食糧資とす。
一体夷人大勢にて産物乏しき場所故、夷人経営不レ宜方也。
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引用文献
- 『東蝦夷地各場所様子大概書』「佐留場所大概書」, 1808
- 北海道[編]『新北海道史 第7巻 史料1』, 北海道, 1969. pp.539-543
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