松浦武四郎は,第6回蝦夷調査の中で,門別川筋アイヌの人別改めを行っている。
──調査記録:松浦武四郎 (1858)
そしてこの中で,運上屋雇いに出ているアイヌも逐一記している。
統計すると,93人のうち30人が雇いに出ている。
以下,この内容。
門別川筋を河口から溯る:
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松浦武四郎 (1858), p.611
橋の東より右の方 [東岸] まゝ山根に添ふて六七丁にて
リイメンタナイ
夷人家五六軒有。
是ハイ、アツへツ、サル辺より雇に下りしものゝ小屋也。
前に少しヅゝ畑を作りぬ。
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同上, p.614
ホンユクチセナイ
‥‥‥
人家此処に二軒有。
家主クメ 五十四才 の家え立よりて休らふ。
‥‥‥ 等家内三人暮し、
其ホラホロは未だ雇に下られ居るとかや。
また其隣 ‥‥‥ 等家内五人にて暮したり。
娘は早、雇に当年は下られ居るとかや。
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同上, p.615
クヲナイ
‥‥‥ 過て三四丁行人家一軒有。
家主子ンタ 六十二才、 ‥‥‥ 等家内四人にて暮しけるが、
其倅も娘も雇に下られ、家には老人両人残り居る計りなり。
此家此間までは川端しに有りしが、洪水にて流れ此処え此間形計を作りしとて新に立たり。
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同上, pp.617,618
モベツ村
本川端にしてモンベツ村の詰りし語也。
‥‥‥
此処十二軒有。
当所乙名クン子 六十二才 家にて休む。
‥‥‥ と家内五人にて暮し、
其内倅は雇に下りたり。
また其隣 ‥‥‥ 等家内六人にて暮し、
其内倅夫婦は雇に下りたり。
また其隣 ‥‥‥ 等家内両人にて暮し、
また其隣 ‥‥‥ 等家内四人にて暮しけるが、家には此婆一人を残し、
其娘は番人の妾となりて運上屋に居る也。
また其隣 ‥‥‥ 等家内八人にて暮し、
また其隣 ‥‥‥ 等家内五人にて暮しぬ。
其家主は雇に下られたり。
また其隣 ‥‥‥ 等家内八人にて暮し、
其内聟夫婦は雇に下られて不レ居よし。
また其隣 ‥‥‥ 等家内五人にて暮し、
其内倅と聟と両人雇に下られ居たり。
また其隣 ‥‥‥ 等家内四人にて暮し、
其内倅夫婦は雇に下られたり。
また其隣 ‥‥‥ 等家内六人にて暮し、
其内聟に娘・妹・合宿人と四人雇に下らLたり。
また其隣 ‥‥‥ 等家内二人にて暮し、
また其隣 ‥‥‥ 等家内孤にして住したりとかや。
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同上, pp.623-625
クツタラ
‥‥‥
此処に人家六軒有。
此六軒のものは百年前迄サル川すじなるニナツミフに有しが、此方え便利の為に引越し来りし也。
依て此村名をば
ニナツミフ村
と云り。
是モンへツ村よりまた別になりて有り。
先当所乙名シユクツコリ 四十七才 家えより止宿す。
‥‥‥ 等家内十人にて暮しけるに、
其内倅に二男三男と三人程雇に下られ居たり。
また其隣 ‥‥‥ 等家内二人にて居たるが、
其家主は雇に下られたり。
また其隣 ‥‥‥ 等家内六人にて暮したりと。
其内家主と倅は雇に下られぬ。
また其隣 ‥‥‥ 等家内三人にて暮しけるが、
其イナヲランは雇に下り居て、今度我が供に来りしが、未だ妻をももたず。
其隣 ‥‥‥ 等家内三人にて暮し、
其倅は雇に下られ有也。
また其隣 家主イタキタク 四十九才 、
此者独者なるが浜え下られ、家も腐朽したり。
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引用文献
- 松浦武四郎 (1858) :『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』「戊午第三十八巻 東部 茂無辺都誌 全」
- 高倉新一郎[校訂], 秋葉実[解読]『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中巻』, 北海道出版企画センター, 1985, pp.609-634.
- 松浦武四郎 (1859) :『東西蝦夷山川地理取調図』
- 扇谷昌康, 島田健一 (1988) :『沙流郡のアイヌ語地名I』,北海道出版企画センター, 1988
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