サル会所の絵図
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「佐留場所大概書」
佐留場所大概書
箱館より海岸通り凡七拾七里
蝦夷地佐留場所 寛政十一未年御用地に相成候。
東北山 西南海
海浜掛払遠 渡浅くして 船掛り澗なし。
産物積取船も沖掛り故、時化荒の節は逃船となる。
風波を凌ぎ寅卯の風にて出帆し、酉戌の風を入津する也。
一 会所 壱ヶ所 表西南 棟行拾六間
裏東北 梁間五間半
内 座敷弐間 次三間 帳場 幷 支配人、番人部屋
台所板敷、其外土間也。
右 文化二丑年 新規御普請出来。
支配人一人
番人八人
見習番人一人
会所附 渡船 弐艘
漁船 弐艘
一 堀井無レ之、山水を筧へ移し会所へ引。
一 弁天社 壱ヶ所 弐間半に弐間
一 旅宿 壱ヶ所 八間に四間
一 物置 壱ヶ所 拾間に三間
一 下宿 壱ヶ所 拾弐間に四間
一 板蔵 三ヶ所 内 仕入物蔵 八間に四間
産物囲蔵 拾間に四間
雑物蔵 五間に三間
一 物置小家 壱ヶ所 七間に四間
一 作事小家 壱ヶ所 八間に四間
一 稼方引越居小家 五間に三間
一 鍛治小家 壱ヶ所 三間に弐間
一 厩 壱ヶ所 拾間に四間 惣馬数 三拾壱疋
一 出張番屋 三ヶ所
内 壱ヶ所 七間に三間 会所より壱里西方信台に有。
壱ヶ所 同 同 会所より三里東方福生に有。
右弐ヶ所も漁業夷人に番人壱人宛差添、
二月中旬より罷越八月中旬引払。
壱ヶ所 六間に三間 別當狩に有。
右は三ッ石場所内え昆布刈取中沙留夷人出稼場也。
夏土用頃より夷人に番人壱人差添罷越、八月初め引払。
此出稼割合高の内 弐分 三ッ石
八分 佐留
一 蝦夷惣家数弐百三拾六軒 惣人数千拾三人
内 男五百三拾七人
女四百七拾六人
内 乙名役拾四人 小使弐人
一 夷人漁船 百五拾艘
産物
熊胆 熊皮 干鱈 干鮫 干鮊 魚油 煎海鼠 鯡
島鼠 鷲羽 椎茸 厚し 榀縄
此外雑魚もあれ共〆粕等に出来程は無レ之。
右産物出高毎年九百石目程、
三月末より七月頃迄箱館仕入物積下り船え積替登せ候。
元運上金百拾両。
御用地以前は、ユウフツ場所内マゝツと申所え
佐留夷人毎年秋に至鮭漁致し来候処、
文化元子年よりマゝツえは不レ参、
ユウフツ附千年川の内にて漁場受取今に至り、
毎年頃より夷人を遣し鮭漁出稼為レ致、
干鮭箱館廻し御払に相成候上、
勇武津 佐留半に御収納相成候積り。
元松前若狭守家来小林嘉門給所の節、
運上家サル川の辺に有レ之処、
五拾年已前当会所有レ之処へ引替候由、
其頃迄は場所々々荷物積取船はゆい立にて、
唯板を集め藤蔓或は縄抔にて拵候船のみにて相弁来候処、
運上家未佐留川辺に有レ之節、
始て三百石積廻船打建荷物積出せしより、
蝦夷地廻船始りの由申伝ふ。
一 文化四卯年より浦川場所へ昆布出稼仕、
取揚昆布箱館相廻し、
御払に相成候高の内、浦川 佐留半々の割合に御座候。
一 西勇武津境フイハフより東新勝府境アツベツ迄、
海岸里数凡六里弐拾七丁。
‥‥‥
一 サル川 船渡し 巾七拾間程 川守蝦夷番人
川源より川下迄里数凡四拾七里、
左右樹木生茂り断岩又平地の所もあり。
七月頃より鮭魚昇るといへ共至て少し。
小魚は尤多し。
十一月下旬より氷河と成。
春正月下旬には氷解船渡しと成。
‥‥‥
佐留場所は東北山、西南海、会所近辺高山なく用水も自由、薪となす雑木も多し。
春二月末に草木も漸々芽み、四月頃咲く。
夏土用中も暑気薄く、秋は八月中旬より霜下り、樹草黄み、冬は風烈敷故雪も積る事なし。
寒気もゆるやかに四季とも凌能き方也。
夷人業は春は海辺へ出て釣物をなし、
夏は生海鼠を引、昆布を刈、
秋に至千年川鮭漁出稼致し食糧を貯へ、余分は干立て荷物に出し、
冬は山家へ帰り漁船又は網を拵へ、榀縄をなひ、
女は厚しを織、キナ筵を編み、
男女共春より秋迄漁業、
手透の節は粟、稗を作り、或は茎立の草 同根を刈取、魚へ交て食糧資とす。
一体夷人大勢にて産物乏しき場所故、夷人経営不レ宜方也。
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松浦武四郎 (1870), pp.129,130
過てモンベツフト〔門別川口〕
‥‥ 此處會所元と成たり。
‥‥
サル〔沙流〕會所 (勤番所、通行や、板くら、漁屋、馬や、大工小屋、鍛冶や、土人雇小屋)
人別 (交政五改、千ニ百十五人。安政三改、千三百廿餘人) 多く、
産物、鰯・昆布・鮭・海鼠・鮫殻・鱈・雑魚多し。
濱形巳午向、惣て平濱船懸なし、沖積也。
小山の中腹義經社 (御丈一尺貳三寸) 合殿辨天、傍に天満宮・蛭子社。
また畑多し。
元松前家々臣小林某給所。
其比は運上屋サル〔沙流〕の川端に有しを、文化二(丑)年此處え移す。
然に呑水無故、山より筧を以て取用ゆ。
廻舶箱館より寅卯風にて出、酉戌にて入津す。
土地至て肥沃なり。
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引用文献
- 『東蝦夷地各場所様子大概書』「佐留場所大概書」, 1808
- 北海道[編]『新北海道史 第7巻 史料1』, 北海道, 1969. pp.539-543
- 松浦武四郎 (1870) :『東蝦夷日誌』「沙流領」
- 吉田常吉[編]『蝦夷日誌 上 東蝦夷日誌』, 時事通信社, 1984, pp.127-141.
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