Up 沙流太 作成: 2020-01-29
更新: 2020-01-29


      松浦武四郎 (1858), pp.639,640
      サルブト
    是往来より七八丁も川下にして、シヤリフトと云此川口なり。
    此処にては川巾八十間も有、両岸砂岸、其辺寄り木多し。
    名義はサル川口と云儀也。
    是より五丁計上り右の方木立平地。
    左りの方平山槲柏(かしわなら)原。
    弐丁計上り
      渡し場
    川幅七十間計、左り平地、右崖上少しの平地有。
    其下崩岸、上に小休所一棟有。
    ムカワ
    里余、従会所一里弐十三丁。
    人家三軒。‥‥
    是より右は平地、川すじ寅卯と向ふ。
    行こと凡五六丁にして槲柏木(原)也。
    行て右のかた川よりは十丁も引上りて
      トンニカ村
    平地、荻と薄との原槲柏のみ也。
    依て号。
    トンニカはコムニカのり也。
    此処畑は多し。
    人家十軒有。


      山田秀三 (1969), pp.31,32
    ・プトゥ Sar-putu「沙流川(の)・その川口」
     沙流川の川口は今、富川(とみかわ)と呼ばれる立派な街だが、この間までは佐瑠太(さるぷと)という名であった。‥‥
    前記「滝」の項で、()ソウシのオ (お尻。陰部) は「川尻」のことだと書いた。 今度はプ put (口) で「川口」を呼んだ例である。
    ()()川口」というときには、後に u または i をつけてプトゥあるいはプチと呼ぶ。
     プッ (プトゥ) は、多く「(ぶと)」の字を当てられて残っている。


    引用文献
    • 松浦武四郎 (1858) :『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』「沙留誌 壱」
      • 高倉新一郎[校訂], 秋葉実[解読]『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』(上・中・下), 北海道出版企画センター, 1985.
    • 山田秀三 (1969)「北海道のアイヌ地名十二話」
      • 『山田秀三著作集 アイヌ語地名の研究 1』, 草風館, 1995, pp.13-72.