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松浦武四郎 (1858), pp.639,640
サルブト
是往来より七八丁も川下にして、シヤリフトと云此川口なり。
此処にては川巾八十間も有、両岸砂岸、其辺寄り木多し。
名義はサル川口と云儀也。
是より五丁計上り右の方木立平地。
左りの方平山槲柏原。
弐丁計上り
渡し場
川幅七十間計、左り平地、右崖上少しの平地有。
其下崩岸、上に小休所一棟有。
従二ムカワ一弐
里余、従二会所一一里弐十三丁。
人家三軒。‥‥
是より右は平地、川すじ寅卯と向ふ。
行こと凡五六丁にして槲柏木(原)也。
行て右のかた川よりは十丁も引上りて
トンニカ村
平地、荻と薄との原槲柏のみ也。
依て号。
トンニカはコムニカのり也。
此処畑は多し。
人家十軒有。
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山田秀三 (1969), pp.31,32
サル・プトゥ Sar-putu「沙流川(の)・その川口」
沙流川の川口は今、富川と呼ばれる立派な街だが、この間までは佐瑠太という名であった。‥‥
前記「滝」の項で、オソウシのオ (お尻。陰部) は「川尻」のことだと書いた。
今度はプ put (口) で「川口」を呼んだ例である。
「その川口」というときには、後に u または i をつけてプトゥあるいはプチと呼ぶ。
プッ (プトゥ) は、多く「太」の字を当てられて残っている。
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引用文献
- 松浦武四郎 (1858) :『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』「沙留誌 壱」
- 高倉新一郎[校訂], 秋葉実[解読]『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』(上・中・下), 北海道出版企画センター, 1985.
- 山田秀三 (1969)「北海道のアイヌ地名十二話」
- 『山田秀三著作集 アイヌ語地名の研究 1』, 草風館, 1995, pp.13-72.
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