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松浦武四郎 (1858), p.611
モンへツはサル会所(より)弐丁に有る河にして、幅廿五間、深さはしらず。
此処川巾狭くして遅流なるが故に深さは凡三尋位も有りと。
其橋より海に達する哉三丁也。
板橋を架てわたす。
モンへツは訳して遅流の事也。
此川口遅流なる故に号る也。
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松浦武四郎 (1870), pp.130-132
△六月廿八日 (安政三〔五〕戊午)。
於二會所一案内土人五名 (ホロサル村リキナシコロ、シユムンコツ村トレアン、ロレタリ、イナヲラン、アムキリ) を雇て出立し、
モンベツ〔門別〕川筋を上るに、
山根筧を架て會所の水を曳たり。
此處新畑多し。
山に入リ
イメンシユイ(土人小屋七八軒)、
向にヲヒシヨマコツ(モシベツ西岸)、
ライキヲマナイ(右小川)
平山南向暖地也。
ブンカルシコツ(右山)、トサツナイ(右川)、向にサラハヲマ(左川)、
トイチウシナイ(同)
爰に穴居跡多し。
考に往古は餘程土人の住せしと思はる也。
惣て川筋屈曲する故本川を見る事なく、山の半腹を行くこと也。
ホンユクチセナイ(従二イトシナイ一山越也) 山合に畑有、粟・稗よく出来たり(人家二軒)。
クヲナイ(同人家一軒)。
山に上るや、山椒の大木一面に有、實に奇と言ベし。
向はシイチカフンナイ(左川)、ルウエンを上る事しばし(凡廿丁)、峠に至り下る(十餘丁)。
モベツ(川東、人家十二一軒) 村中にワツカクナイ(右川)、向にヲサツナイ(左川)、モヘシユイ(右川)、テホマナイ(同)、アシカリベツ(右川)、此源はハイ山より来ると。
又マウニウシ(左)、フツホウシ(左)、イヨシルイカ( 右川)、此源にヲニウシと云高山有て、ハイと向背する由。
ラウネナイ (右川)
此處山の平に大岩有,年々小石を孕み出すと,是子持石なる哉。
サヌシベ(左)、ヲタツコムシベ(右)、チベシナイ(左川)、
キラウシナイ(右川)
鹿角多く落て有 義也。
故は此處に獨活多く有、鹿好て是を喰ふ故也と。
必ず是を喰と角忽に落る由也。
ナエー(右川)、ヲフチフミフ(左川)、チヤシ(右城跡)、
クツタラ(左川)
名義、虎杖・益母草・鍬形草の類多き故也 (人家六軒)。
爰をニナツミ村と言り。
此村サルブツ〔佐瑠太〕のニナツミより獵の便利故、移り来りし故に如レ此號と也。
漸々晡タ首長シユクフクリの家に着す。
此邊未だ谷々雪深し。
今日の里数凡八里といへり。
山陰の 雪間の千種 咲そめて 此里人も 夏をしるらむ
扨本川は雑木愈陰森、兩山高聳へ、
少にてアトナイ(左川)、ヒンネ(同)、バンケコロ(右川)、
ベンケコロ(同)、
此邊大石簇々、種々の奇石を出と。
兩岸絶壁也。
左ホリカモベツ、右シノマンモベツ、其源ヌツケベツ〔貫氣別川〕とアツベツ〔厚別川〕の間に入り、山皆青木也。
廿八〔九〕日。
霧雨杳靄とし鬚髪を濕し、恰も白毛の如し。
山中蝮蛇を見る事度々、然に蛇を見ず。
寒地には長虫は無と思ふに、北地の白主又蝮蛇多し。
其性蛇と蝮と異るの甚敷を覺ふ。
乙名シユクフクリを先導とし出立。
マカウシ(左小川)、ホロケウ(左小川) 過て二股、此處右モクツタラ、左り本川。
是を上り(一里)、マサラマゝ(左川)より木根に取附、辛うじて晝頃峠に到り、左を顧ればヌツケベツ〔貫氣別〕村眼下に蜿轉としたり。
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引用文献
- 松浦武四郎 (1858) :『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』「戊午第三十八巻 東部 茂無辺都誌 全」
- 高倉新一郎[校訂], 秋葉実[解読]『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中巻』, 北海道出版企画センター, 1985, pp.609-634.
- 松浦武四郎 (1859) :『東西蝦夷山川地理取調図』
- 松浦武四郎 (1870) :『東蝦夷日誌』「沙流領」
- 吉田常吉[編]『蝦夷日誌 上 東蝦夷日誌』, 時事通信社, 1984, pp.127-141.
- 扇谷昌康, 島田健一 (1988) :『沙流郡のアイヌ語地名I』,北海道出版企画センター, 1988
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